生姜の葉っぱでトンボが休んでいました。
...
奥四万十
11月22日
今朝は 薄く霜は降りました。 やっと紅葉がきれいになる事でしょう。 ショウガの収穫もやっと終わりました。
これからは 春の出荷まで 冬眠に入ります。3月には出荷が始まりますが 頭が痛いのは宅配経費の上昇と 消費税です。
消費者に負担をかけることは 避けたいと頑張っていますが 限界があり 悲しくなります。
原発は金を生む魔法の施設で 奥四万十で指摘したことが 現実となりました。
奥四万十川の水を 四万十町に流し 事故の時 飲料水を確保する計画で四国電力の原爆計画は進められました。
今も 島の川 入口には その時 地盤調査のために掘られた トンネル跡地があります。 僕のi家から2キロ程度の距離にあります。
ゲンバツは 事故を想定して最初から計画が進められました。 それでも勇気ある 土佐のイゴッソうは 半数が 賛成でした。
わが村でも議会の過半数以上が 賛成でした。
理由は過疎の村の起爆財として 賛成したのです. 。 原発反対に立ち上がった 四万十町の牛飼い島岡君を先頭に反対運動が始まりました。牛糞を集める ホウクを右翼に振りかざして抵抗したりして 反対運動は続けられました。
四国電力がもし ゲンバツに暴走していたら 大きな墓穴を掘る結果になっていたと思いゾットします。
日本という小さな島に降りかかる放射能は島民に 解決のない問題を突き付けた事でしょう。
解っていた 建設事業の魔力
。
反対運動には打算はありませんでした。貧乏でも安全を選びたい集団でした・。
賛成運動は 安全よりも カネの成木に眼がくらんでいました。 今も目が覚めることはなく 金がばらまかれ 金銀が配られています
子や孫たちが住めない島になっても金に眼がくらんだ 人間は 外国人に島を開放すれば人口問題は解決すると考えています。
やがて この島もエイズと紛争が持ち込まれる島になろうとしています。 それでも カネが欲しい 福井の幹部たちは金や小判に群がっています。
労働者は放射能におびえながら 月給という小判に群がっています。
10月19日
雨降りお月さんは雲の上となりました。
雨の降ることで有名な奥四万十ですが、最近は特別よく雨が降ります。
土佐沖の海水温度が2度高くなっているようで 水蒸気が四国山脈で冷やされ 雨となっているようです
これからは 温暖化が進むようですので ますます 水害の被害が心配になってきました。
堤防で守ればよいと考えていたら、今後は ヘドロと水が 長期居候の心配が出てきました。
昔の事になりましたが高知では ヘドロはそのまま? 自然に解決を任していたようです。やがてヘドロ上には家が建てられ 町が出来ました。
その結果 今でも 高知市中心部の地名には桟通りがあり、 ハリマヤ橋があり、 ホタル橋があり 西には蓮池という 地名ものこっています。
土佐市 蓮池には高速道路が出来ましたが 地盤も池の上にできた土地ですので 高速道の橋脚は今でも沈んでして 軟弱地盤の注意書きが建てれれています車は 静かに通過しないと 地盤は沈下しますので注意が必要です。
水害に泣く市民、感謝している?建設業
奥四万十でも 今からウ--十年前 水害による大災害が発生したことがあります。
橋は流れ 田畑は水没しました。 上流からは 牛や馬が田畑に流されていた歴史も記録されています。
災害復旧により 橋も道も立派になりました。 交通の便が良くなった道を利用して家財道具は町に運ばれ 気がついたら 過疎の村が残りました。
川は護岸工事により三面セメント張りとなり ウナギも鮎も 住めない川となりました 。 残ったのは人の住めない里でした。
山には砂防ダムがつくられ、水害のたびに堰堤には土砂が蓄積され、やがて 滝がつくられ 谷底は削られ 山を支えていた地盤は流失しました その結果 再び 山は崩れ 土石流となって 下流の田畑に流されて行きました。田畑は 何時しか もとの原野となりました。 。
人間が自然に対抗して戦う解決策には 終着駅はないような気がします。
自然との共存の道を考えなければ また自然は牙を向けてくる来るような気がして心配になりました。
10月4日
生姜の収穫が始まりました。
年々耕作農家が減少しています。 農業を離れて都会に出たら今度は 大規模水害が 待っていました。
都市は 何かと便利社会構造になっています。
不便な農村に住むか、便利な都会を選ぶか、 それは自由なのです。
日本は水害 や 原発事故や ミサイルの標的になっています。 いずれにしても小さな 島であることをわすれて 巨大化した文明社会は牙をむいて きました。
大規模水害は予想できる結果なのです。
農村は山の管理が出来なくなりました。 その結果 山は崩壊しています。 待ってましたとばかり 砂防ダムがつくられました。 ダムはすぐに 崩壊した山土でいっぱいになり 広大な滝が出来 谷がホラレ また山の崩壊が始まりました。
保水の役目をう失った水が 激流となって下流に流れてゆきました
激流は 都市に山の土を流しました。 都市を守るために作られた堤防は 流入した水を大切に守り 都市に新しい湖をつく 防火用水の確保に役立つ事に なりました…
ホウムレスの人が トリノコされました
川辺を住かにしていた ヒトは ずぶ濡れになって 救助隊に手を振り助けを求めました。
救急車は 彼らを積み残して去っていたそうです。
理由はわかりませんが これが人権尊重の姿のようです。
この世の中はどっかおかしいと思いますが間違いでしょうか。
9月20日
気がついたら 秋になりました。
サア 稲刈りが 始まるかと思えば 今度は 台風が次から次えと ご訪問下さり コンバインは 倉庫からかおを 出すことが出来ません。
刈り取りが遅れますと 気の早い稲穂は 収穫前に芽を出してきています」。春の苗用発芽試験と思えば 雨に感謝すべきでしょうか。
これから秋祭りの季節を迎えます。
各集落には神社がありますが、人口減で 維持管理が難しくなりつつあります。
それなら 神社も合併すればと考えれば 結論は簡単ですが 神様は 重い腰を上げそうにありません。
忠霊殿 は建物は立派でっすが 荒れ放題になっていまっす」。
なんでも 町村合併により 忠霊殿も 新町と合併したそうで 寂しい限りです。 これからは先祖の墓も 合併して お寺に祭典費を収めて,ハイ サヨナラの時代に入ることになりそうで心配になりました。
忠霊殿には 隣国で戦った兵士が祭られていますが、 これからは隣国に出かけなくとも 直接日本本土にミサイルがご訪問下さる時代に入ります。
ミサイル探知できない日本
ミサイルは 短距離の場合は感知が難しいと思われます。 対応を考えている間に 日本本土に着弾しそうです。
北朝せんは 日本の基地や 原爆施設を 目標としなければ 今のところアメリカまでは無理があるようです。
日本の場合探知できたとしても 日本の都市は どこにも避難できる場所はありません。
自衛隊に任して防護を考えても ウサギ小屋を守ることは できません。
防護より先に 隣家と仲良くすることが 賢明な道のような気がします。核の脅威はそこまで迫っているのですから。
7月6日
梅雨も後半に入りました。
今年は空梅雨と思われましたが、7月が迫ってきますと さすがに 梅雨らしくなりました。
雨を喜ぶのは カエルと里芋です。 里芋は 頭フリフリ 子が出来ると歌に 歌われ 恵みの雨でした。
最近は空梅雨となって きましたので 人口減が続くようになって来たのかも知れません。 近年は 蒸し暑さがなく すっきりした梅雨です。
その為に 今年もエアコンの必要はなさそうです。 暑い時は 暑く 寒い時は寒いのが当たり前ですが この当たり前が おかしくなっている昨今です。
自然が一番 暑い時は生姜貯蔵用の地下室に入ります。 といっても利用しているのは 僕と コ-モリ くらいです。
電気もゲンバツも必要がなくなりそうですが、欠点は 湿度が高くテレビは 無理です。
選挙が始まっているようですね
新聞によると参議院選挙が始まっているようで、 早くも改憲派が7~3で勝ちそうな情勢とか。・?
過疎の村には選挙カーも回ってこないし テレビや新聞で 知る程度です。
国会議員選挙は全国区かと思っていたら 人口割だそうで 高知県は徳島と 合同選挙区になっているようです。
高校野球も 生徒数の減少で 合同チームで 予選を戦うようになり、甲子園では 私立が郵政 間違いました 優勢 で初めから 後半戦に残るチームは大方の予想がつくようになっています。
国政選挙も 高校野球並みとなり 高知は徳島と連合チームが組まれていますが自民有利の答えは 初めからわかっているようです。
人口割で選挙区が決められる 問題点
人口は都市に集中し 地方は人口減が顕著になってきました。選挙まで 高校野球並みに連合で戦う必用が出てきました。
投票率 で 選挙区を決めなくては 都市の投票率は50%代 のようです。 でも 農村は都市に 歯が立たなくなり 都市型の国政となり 農産物も自由化がますます加速されてきました。
植物でいえば 都市は花で 農村は 根です。この根が 選挙で 腐食され やがて花も咲けない幹になってきそうで 心配になってきました。
6月26日
梅雨 も後半戦に入り 台風が発生し その為か 雨となりました。
最近は じめじめした梅雨ではなく カラットしていていて その為に我が家ではまだ エアコンを使っていません。
自慢ではありませんが お金 の無駄遣いになると考えまして まだ店の棚に陳列したままとなっています。
エアコンのない部屋で老人が死亡という」記事を見かけたら モシヤと思ってくださいませ。
人口減は進み 小学校も閉鎖の危機にあります。
村には小学校は3校ありましたが 最近は1校すら あやしくなりました。 昔は電気も ラジオもなく 結果として早くから寝るしか 道はありませんでした。
そのけっか 神は副産物として 子供を授けてくれました。 人口減の最大の原因は テレビが24時間放送していることにあるような気がします。
明治39年 頃は 日本の人口は4542万 2千人 高知県の人口は62万2千950人ぐらいだったようです。
現在の高知県の人口は 96万9522人ですから 明治時代に近づいてきているのかもしれません。
人口が 増えないことは 命を大切にする意識が 高まり 大量殺人兵鬼がなくなる期待が持てそうな気がしますが さて どんな答えが 待っていますことやら ??
長生きしていたら ピカドン戦争が ボッパツ しそうで心配いなってきました。
今度の ピカドン戦争では 日本本土が沖縄に代わって 舞台になりそうで心配になりました。 大国の対応によっては 逃げ場は 火星に求めるしか 行く先は無いように思われます。
しかし 火星には 空気も水もなく すぐには地球人を受け入れる 余裕はないようです。 かくなる上は この地球という星には 人間という愚かな動物がすんでいた
事を石に刻む 事が 急がれる時代に入っているような気がしてきました。。
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5月21日
生姜も芽がでそろい 盛んに成長しています。 夏の炎天下を忍び成長して 豊作を祈る思いです。
生姜や稲は これから どんどん 分株 して 子孫を増やし 秋の収穫を迎えます。
農作物は 株を増やして 増産に貢献しますが、 人間は 自分たちの生活に精いっぱいで イネや生姜のようにはゆかず
子孫を増やすことが出来なくなってきたようです。
高知県の人口が60万に 減りました
高知県は貧乏県ですが 人口は どんどん減っています
昔は貧乏人の子だくさん」といって どこの家でも子供のなき声が していて 村には活気がありました。
所が最近は 人間が進化したのか 三本足で歩く 老人社会となり ました。
高知県の人口が69万9522まで減ってしまいました
わが村ではほんの最近まで 2000人でしたが やがて1000 人 になる恐れが出てきました。
昔は男が 気張っていましたが 最近は女性が強くなり 男が弱くなりました。
それが人口減となんで関係があるのか 僕にも解りませんが 誰か教えてください。
老人が 5人死亡して子供が一人生まれています。
100年後には村の人口はいくらになるか パソコンで計算しても 数字は出てきません。
買い換え法が良いでしょうか。
5月20日
パソコンとの喧嘩に負けて、送信できなくなり ご無沙汰してしまいました。。
四万十の里は 長い梅雨の季節を迎えました。
梅雨後に太陽が顔を見せるj頃は 7月中旬となり 焼けるような夏となります。
四万十の里の梅雨は 気象台よりも 早く入り 早く 明けます 。 気象台が「、梅雨に入りました」と発表する頃には とっくに梅雨に入っています。
高知は東西に長いので 仕方ないことかも知れません。 東西に長いのは地形だけで 住んでる人間は気は短いように感じます。
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何のためのふるさと納税
村を離れ 都市で働いていても 故郷には忘れられない思い出があります。
気が付いてみると 村は過疎が進み 存亡の危機に直面しています。 そんなことを心配しながら、「 ふるさとに恩返しがしたい」。との思いをこめて ふるさと納税に協力した人も少なくない」と理解していました。
真意を理解できない 行政
ところが、ふたを開けてみると、 不適切な寄付集めが主体となり ふるさと納税の本来の趣旨が曲折され、結局は 税金の無駄遣いになりそうです。
僕の無学な知識では「地場産品を返礼品」にする事により 地域は活性化され 一次産業の活性化に期待しました。
返礼品開発を進めれば 新たな雇用や流通が始まり、 過疎の村も活性化する起爆剤になると期待したのです。
ふたを開けてみると 通販のギフト券が贈られたり 過疎の村がら海産物を贈られる ふるさと納税になっているとすれば 本来の趣旨に逆行することになる。ような気がしますが間違いでしょうか
あえて 国に問いたい。
減反政策により耕作できなくなった農民は 村を離れ都市に現金収入を求める道を選択しました 。 村を離れた 農民が、ふるさと納税に協力した 結果が 「アマゾン」の返礼品だったとしても、、その程度で満足する程度だと国は思っているのでしょうか。
総務省のエラ-イ先生に 答えを求めても、都市の騒音にかき消されるでしょうか。。
4月27 日
時人を待たず、アッとゆう間に 冬から 春に季節は移り 山々を見ると初夏を告げる新緑の季節を迎えています。
桜の季節は終わり ましたが、山桜は 今が満開です。 新緑と山桜を 四万十川は写して 流れています。
その川辺をお遍路さんが 次 次に とうり抜けてゆきます。
四万十中流域では川遊びが始まっています。
四万十町昭和地区ではカヌーや ラフテイング体験ができます。
10月末めで利用料 一艇1万800円 カヌーは 通年楽しめます。 利用料等の問い合わせは 0880,28,5758まで
昭和地区ですので 令和と間違えないようにお気を付けください。
1月 1日
あけまして、おめでとう ございます。
奥四万十は 暖冬の新年んで 天狗高原はスキ-が出来なく、 ガッカリ しています。
水田の表土が乾燥しないためにトラクタ--が入れない状態です。 今までは表土が凍っていて 耕運出来ませんでしたが 最近は雪は降らず 逆に雨が降るようになり 水田を耕運出来なくなり 休戦状態となっています。
暖冬のために凧あげをする光景が 見られなくなりました。 かといってカルタで遊ぶ子もいなくなり ゲ-ムやテレビが主流となりました
四万十川の清流に浮かぶ屋形船での 結婚式参加者を募集しています。
四万十川にの両岸を結ぶ沈下橋を屋形船でクグリ 愛を誓う 結婚は いかがですか。
なんかの事情により結婚式をあげられなかった あれからウ-十年が経過した カップルから 若者まで年齢に関係はございません。
人生の思い出に のこる結婚式になると思います。申し込み締め切りは1月31日となっていますが 明日では遅すぎると思って 一刻でも早く申し込みする必要があると思います。
新郎新婦の衣装や ヘアメ-ク挙式経費も含めて4万10円で すので いかがでしょうか。
マスコミや 一般カメラマンから ポ-ズを求められても快く対応して下さすことを 望んでいます。
テレビに流されても心好と受け止める覚悟のうえで御応募下さい。
申し込みは「屋形船さこや0905147,4023」まで
12月15日
今年も間もなく過ぎ去ろうとしています。
生姜の収穫が終わり ホット一息ついたと思えば こんどは 新年を迎える準備に入り、ました,昔は 年末決算でしたので、農協事務所は証書の書き換えで 混雑していました。.
みんな 赤字決算の仲間でした .僕もその一人で 証書書き換えや保証人の確保に 大変でした。 証書を書き換え更新手続きが終われば、借金の苦しみから解放された気になり 飲み屋に足を運び 一年の苦労の清算をしたものでした。
借金仲間と 「来年こそ」といいながら 1っパイのつもりが2杯になり 酔っぱらって帰ってみると 母ちゃんは 餅つきにてんてこ舞いをしていました。 餅をつく、べっタン ペッタンと言う音を 子守り歌にして寝込み、 目を覚ますと 日付平行線が破られていました。
貧乏百姓の年末光景でしたが,いまは懐かしい思い出となりました。
ミカン農家を訪ねました。
農閑期の貴重な時間「(?)を活用してミカン農家を訪ねました。
訪問した農家は 幡多郡黒潮町熊野浦地区の農家でした。
道中 海水を 汲み上げ 太陽熱を利用して塩を生産している施設の傍をとうりました。
みんな原発反対運動の仲間でした。 懐かしく思い出しながら通過してゆきました。
天然塩生産ハウスから 北に入ったとこるにj熊野浦がありました。
道中は山道で 美しい海岸線は 雑木に覆われていて視線はさえぎられていました。 一昔前までは この海岸線の木を利用して木炭を生産し貴重な農漁村の現金収入源だった時代もありました。 しかし 木炭からプロパンの時代を迎え 甘藷畑は ミカンに代わりました。 ほんの一昔まえには ソバを刈りながら 「 ワタシャ(`・ω・´) あなたのソバがよい」 と 乙女たちの歌声が 絶壁の山肌にこだましていたに違いありません。 平成に入り 乙女たちは こぞって村を去り、 老人とカラスが 村には残されました。
一次産業を見捨てた代償として 土佐湾にまで 放射能汚染が進み ました。
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ミカン農家の 活気ある姿に感動しました。
農家の庭先で 待っていると ミカンを満載した車が帰ってきました。
車からは あれから ウ-十年前の青年や 乙女たちが降りてきてくれました。 その笑顔には 充実した収穫の喜びにあふれていました。☆都知事顔負けの化粧をした都会の乙女たちが失っている笑顔を感じました。 それは、、100万ドルの笑顔でした。
こんな熊野浦のミカンを全国の同志に食べてほしいと思いました。
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農業に忘れられた夢がミカンには込められていました。
平成に時代に入り 一俵増産運動は終わり、甘藷から柑橘代わり、ソバを刈る乙女たちの歌声は 二度と聞くことのできない 村となりました。 戦後は 産児制限を行政は進めました。 結果として 過疎の村となりました。 「政府の進める政策に逆行したら儲かる」と考え、、 大規模農業に活路を求まましたが、 振り返ってみると、若者は 村を去り 過疎の村となり 農地と借金だけがのこりました。
過疎対策として,行政は 産めや 増やせと叫んでいますが、若者は、子供どころではなくなり,車代におわれ 親が建てた家をすてて 都市のマッチ箱で生活するようになりました。
11月21日
生姜の収穫が終わりました
今までは11月4~5日ごろまでには ショウガの収穫は終わっていました。
なぜなら 霜の被害を受け 貯蔵中に腐敗が進むからです。 ところが近年は霜が遅くなり、 そのために 収穫ものんびり進めるようになりました。しかし 冷害の心配があり気の休まることはありません。
人間の欲望の限界とは
我々農業収入は 多くても何百マン単位です。 僕たちが農業を始めた頃は 7桁農業が目標でした。
昼は日乾し夜はヨボシで働き 数十年後にやっと7桁農業に到達しました ほっとして腰を上げた途端に 企業の役員収入は 年間数十億単位の世界に入ってきました。 日産のゴ-ンさんは数十億の年収の上に 家族の生活費まで負担させていたとすれば。この経費はすべて車の生産経費に加算されているのです。 高いところに 富を積む前に 従業員の賃金は利益にスライドすべきと考えます
また 車の値下げをしたらどうでしょうか。 不正な検査をして儲かった利益がゴ-ンさんに流れている事実を理解できません。
幸福は金で買える時代でしょうか。
億単位の収入があっても 家族の生活費まで 会社に負担させていたそうです。
僕たちは親から カネをもらったら譲与税かかかります。 ゴ-ンさんは会社から 家族の生活費を負担させても 譲与税はかからないのでしょうか。
株価が基準価格から上昇した場合 差額を会社から現金で受け取る 仕組みになっているそうです。 要するに株主配当を現金で受け取る仕組みになっていたようです。 我々は 株の配当には 税金を払う義務がありますが 株価に連動して現金で受け取る仕組みにすれは税金の課税対象にはならないのでしょうか。
税務署のエラ-イ先生に教えてほしいものですね。 と言っても貧乏百姓の犬のト― ボエに過ぎない事でしょうか。
10月3日
台風は収穫の秋に被害を与えました。
毎年の事ではありますが、収穫直前に台風が襲来し 稲は倒伏し 作業に影響して 作業が大変となります。
肥料を控えめにすれば 倒伏は少しは防ぐことができますが、 今度は収量に影響してしまいます。
稲穂は 実れば実るほど頭を下げますが、頭を下げすぎると 今度は収穫前に発芽してしまいます。
多収と減収は紙一重の関係にあり、 難しい選択を求められるのが 農業なのです。
頑張れ 大川村
高知県には日本1 面積の広い梼原町がありますが (もしかしたら北海道の別海に負けているかも知れませんが) 一方離島をのぞけば 日本1小さな村があります。 この村が今大きく揺れ動いています。
議会を維持するためにどう対応するべきか 苦しい選択が求められています。 要するに議員数の確保が難しくなってきているからです。
これは大川村だけにの問題ではなく 過疎に直面しているすべての町村に問われている問題でもあります。
解決策はあるのでしょうか。
議員報酬を増やせば解決する案がありますが カネで解決できるなら 問題は簡単でしょうが。 報酬を増やせばもっと大きな問題が待ち構えています。 村職員退職者が 議員として活躍することを 期待する事は定数確保の為にも大切なことですが 村民の収入は少なく 村の退職職員の恩給金額にも届かない状態になりそうで心配になります。
議員定数確保の為に 退職職員が議員になった場合は 一般村民との所得格差が広まってしまう 心配が出てきます。
なんたって 年金に議員報酬がプラスされますと村では高額所得者になっていしまいます。 議員報酬より少ないのが村民なのです 。
議員報酬を増やしても 議員の定数確保問題は解決しないのが現実のように感じますが間違いでしょうか。
議会を村民参加の総会にしたらどうか。
みんな優秀な村民ばかりですので 議会を村総会としてはどうか❓ 大切な話し合いにも30名も集まれば 盛会である事実は 将来に重要な問題を投げかけているように感じます。
議会を総会形式にしたらどうかとの意見もあるようですが、地方自治法は 議会を前提とした法令であり、村総会に適用することには 無理があるように感じますがまちがいでしょうか。
地区長を議員兼職を前提に選出したらどうか。
地区長の任期は 1年となっていると思ますが、これを議員の任期期間までとして 定数確保を考えることは出来ないか。、 ここまで追い詰められたら考える時ではないか。
地区長は地域で選ばれる人材であり、地区長になったら議員に立候補することを地区総会で決議すれば道は開かれるのではないか。 、
これは 部外者の余計な迷惑なたわごとと聞き流していただきたい と思います。
9月28日
奥四万十の里も秋が深まりました。
稲穂も頭を下げ 収穫を待っていますが 連日の雨で コンバインも戦場に向かうことが出来ません。
秋になると台風が 次々と発生しますので致し方ないことです。
田植えを遅らせば 解決しそうに感じるかもしれませんが どっこ簡単にいかないのが 人間のはかないところです。
なんでか~~と申しまと 田植えも 稲刈りも 人に負けたくないからです。 隣家より 1日でも早く作業を進めたい競争心が働くからでしょう。 競争心を煽るのは農家だけの責任では なさそうです。
土佐では毎年、春になりますと田植えが始まったと新聞が書き立てます。 今年こそは1番乗りを目指し 競争心を書き立てるのです。
収穫となますと7月には 早くも新米の収穫が始まったと新聞は書き立てます。 とうとう 年にお米が2度とれる南国土佐となり二期作収穫が復活しそうになりました。
地方分権推進の矛盾
平成10年5月29日、地方分権一括法が閣議決定され、平成17年3月31日を期限として 里道水路等の赤線 青線など法定外公共物で。 機能を有しているものは市町村に譲与されました。国有財産として地盤が確認できるもので、。機能が喪失してるものは今まで同様に国が直接管理することになり、払い下げもふくめて国が対応することになりました。 さてここからが問題となっています。
市町村では必ずしも見解の統一ができていませんので下記の問題に回答して町村役場と所轄財務局に採点してもらって下さい
第1問
昭和時代から 不要になった赤線 青線を 隣接地所有者などで個個に利用していて 完全に機能が喪失していますが公図には法定外公共物として残されています。 この場合一括法で町村が譲与を受けることが出来るでしょうか。
第2問
地盤や機能が喪失していても町村が譲与を受けていると主張すれば 譲与は成立していると解釈されるのでしょうか。
第3問
公図に青線が残されていれば 地盤が喪失し 他の目的に使用している場合でも 町村が機能ありと判断すれば 譲与される事になるのでしょうか。
第4問
土地整理にために(個人) 機能が喪失している青線を含めて整地している場合でも 公図に青線が残されていれば 町村に譲与が認められているでしょうか。、
この答えは必ずしも町村間で統一されていない場合があります 町村と所轄事務局双方から回答の採点をもらって下さい。
8月16日
連日の雨で 四万十の水も増えてきています。 でもまだ歩いて渡れる程度です。
近年は台風も指定コ-スは 飽きたのか土佐沖は避けるようになりました。 したがって雨量も少なくなりました。
里芋畑に行ったら 入れないほど伸びていて びっくりしました。 ショウガは雨が続くと病気が発生しますが、サトイモは 大喜びで伸びてゆきます。 昔から里芋は首を振り振り子を増やすといいますので 今年の秋が楽しみになりました。
ご希望があれば 申し出下さいませ。 少子化が問題となっていますが 里芋は首を振っても恋いもは増えてゆきますので過疎対策には格好の食品で 胃腸などほかの面でも効果がございますので おすすめします。
不明幼児の保護 安心しました。
無事に発見された事は 奇跡とはいえ 近年にない おめでたい事だと思います。
罠にかかった野性動物は一晩で 丸裸にされます。 幼児の場合 生きていたので 野性動物の温情に助けられたと思います。
それにしても 大人の先入観ほど いざと言うとき 役に立たなことを肝に命じてほしいと思います。
捜査員は何百人参加しても 期待できないことがあるのです。 僕の経験ではリ-ダ-が しっかりしていないと 発見は難しと思います
僕は 人海戦術での捜査に参加した経験がありますが その時感じたことは 数の力ではなく 知恵の結集が大切だ言う事でした。
何故なら捜査範囲は毎日広めてゆきますが 同じ道を踏みしめて 進んでゆきます。
何故かってと言えば 歩くのに楽なからです。だから獣道ができる事になるのです。 人間も野性動物も なるべき人目に付かない場所に身を隠します。 子供だって本能的に タヌキやキツネから身を守るために 身を隠すのです。
だから毎日同じ足跡を歩いてはいけません。捜査は人の踏んでいない場所を選んで 進むことが大切だと思います。 でも人間でも動物でも 足跡を踏んで歩けば楽なことを知っています。だから 発見が遅れるのです、
今回の場合も、保護に成功しましたのは。単身で現場に乗り込んだ 老人でした。単に前に進むのではなく 脇道にそれたり 沢を歩いたり して進んだと思います。 人海戦術の場合は 前の人がつけた道を今日も踏みつけて進む場合が多いことを 自覚することが大切だと思います。78歳のおじいさんは 人間の 盲点を自覚して捜査されたと思います。 とにかく無事でよかったですね。よかったね。
8月3日
炎天下の日々が続いていますので、仕事は避けて 四国山脈越えの旅に出かけてきました。
途中 高知を結ぶ高速道路の橋は流されていて 通行できませんでした。 四国山脈を結ぶ高架橋が流されることなど 国交省のエラ-イ先生にして想定出来なかった現実に度肝を抜かれました。
自然を支配しようとする人間に対する神の警告でしょうか。
便利とは 何か
災害後は災害復旧の名のもとにと土建業者が群がって ご活躍下さるkとでしょう。
四国の山は想像を絶する規模で動いていますのに 人間の力がどこまで通用すると考えれいるのでしょうか。
高知に新幹線を?と運動していますが 四国の動いている地上に 安全が保障できる 新幹線が走れる保証をどのようにして 担保できるでしょうか。 また 新幹線が実現したら 別の問題が待ち構えています。 今までは 理想と現実の谷間で もがいてきました。
橋が実現したら 連絡船が廃業しました。 高速道ができたら 在来線の�列車は 赤字列車となりました。 空の便も中止した便が増えて 便利になったのか 不便になったのか。 訳が分からなくなりました。
高知はどんどん人口が減少しています。 このままでは 学校も廃校となり、 坊さんも 神官さんの生活も保障されない 現実が待っています。 人間は死亡しても便利になりました。 火葬場から 永久供養のお寺までは 宅配で配達してくれるようになりました。
何が便利で 何が不便なのか、訳が解らない 時代になりました。・
新幹線は 動いている山の中を走る事になrちますが 安全な工法が保証できるのか。 不安になってきました。
国交省のお役人は「想定外の災害に遭遇しました」との 会見を準備して バンゼンの態勢で 工事を行うとしても 被害にさらされるのは 国民であることを忘れないでほしいと 思います。
8月 1日
雨の後は焼きつくような炎天下 大変なのは人間だけではなく ショウガも熱射病(?)となり バタン休 そのうえ病気は連鎖してゆきますので 恐ろしくなります。暑さの夏はオロオロ歩き 昼寝でもと考えたら エアコンのない部屋で 熱射病で死亡のニュ-スが流れてきました。 ヤバイと思っても我が家にはエアコンはありません。 金が無いために買えないのも理由の一つではありますが、 もっとほかの理由があります。
天然のエアコンがあります。
我が家の宅地の中に橋があり その下を 四万十の支流が流れています。
この川から吹き上げてくる涼風が 家の中にまで吹き込み 毛布片手に昼寝をしていなくては うっかり寝込んだら 大変なことになります。 気分転換に橋から糸を垂らすと 清流の魚たちを吊り上げることが出来ます。
でも最近は 魚たちがかわいそうに思うようになり 餌だけ投げ入れています。(と言っても残飯が主流ですが・?)
エアコンが無くて死亡した何故ニュ-スななりますか。
僕はエアコンのない夏を過ごしています。。それが 当たり前の夏なのです。
それどころか 夜中には網戸でな寒くなり 目を覚まし 閉めなくては 風邪をひきます。
今の近代建築は 窓が小さくエアコンがなくでは住めない家となっています。
風すらも金で買う生活を文化生活と勘違いし 一方では原発反対を叫ぶ それが文化人だと思い込んでいる ような気がします。
昔は山で炭焼きさんが谷で食器を洗い 米粒などを流していました。
したがって奥山にもウナギがいて 豊かな食生活が保証されていました。
ところが近年は 炭焼きさんが姿を消し、谷には魚がいなくなりました。 人間の得手勝手な生活変化が 自然のバランスを崩し、挙句には人間までが山で住めなくなり、村は崩壊し 過疎が進みました。
生態系を崩した人間は その見返りとして 人の住めない村となり、 気が付いてみるとあれから60年の 老婆しか見かけなくなりました 四万十の河原で 鮎の塩焼きで一杯のみならがワイワイ騒いでいた若者の声は 消えてしまいました。
7月8日
台風の末期には 大荒れとなりますことは 毎年度 繰り返されますので 特別なことではありませんが 今回は少し度が過ぎているように感じます。 各地で被害が拡大していますことを心苦しく思いまして お見舞い 申し上げます。
高知も 大変な被害が出ました。
高知では 800mm前後の雨は シャワ-を浴びる程度に 感じる程度ですが 今回の雨は1500ミリを超している 地域もあり 被害が拡大され 今度は晴天になれば ショウガの被害が でますので 大変な事態となりました。
ショウガの出荷は 完全に できまくなりました。
四国山脈に降った 総雨量は16000mm以上ちなり 高速道の立川橋が流され 高知は陸の孤島となりました。
生姜の出荷も できなくなちました。 御理解いただく以外に道は御座いません。
生姜を地下壕に入れていますのえ 地下水による崩壊の危険がありますので 立ち入り禁止です。
別に予冷庫を併用していますので 出荷は対応できますが 今度は 一般道の安全確認が問題です。
j鉄道は 終日運転を見合わせています、空があるではないか と思いましたら 今度は 一般道まで 通行止めになっている始末です。
鮎は 激流に流され 途中で避難しても 今度は餌が流されて 食料危機となっています。
餌を求めて下流の旅を続け 上流には鮎も期待できなくなりました。
人間は国籍不明の冷凍食品で なんとか忍んでいます。
農家は食料に関しては 困る事はありません
山にはイノシシやシカがいますので 肉に困ることはありません。そのうえ 山には 薬草があり 畑には きゅうりやなすびが あり 不便を感じることはありません。
ただ じっと 雨がどっかの砂漠に去ってゆく事を祈っています。
6月16日
奥四万十も梅雨の季節を迎えました、これからが本番となります。
今までは 梅雨の終盤ともなれば 大雨 や 雷雨 や 台風 が主役となりましたが 近年は様相が変わってきました。
うんざりするような蒸し暑さは 影を潜め 涼しくなり、すっかり過ごし易くなりました。
エアコンを今年こそは?と 決意していましたが、その必要はなくなりました。
それにしても今年は 蛍が たくさん飛んでいます。 先般も大阪から来ていた子供が感激して捕まえて部屋にいれて一泊しました。 朝起きてみると部屋の中は蛍に占領されていました。
これにはびっくりして 二度目の感激を体験して帰りました。 おそらく来年も 蛍の時期になれば じっと しておれなくなることでしょう。
森友問題と財務省の努力
財務省が文書カイザン問題に大ナタを振ったことで 一段落ついたようです。
大変な 決断が必要だったことは想像できます。
でも 霞が関と地方財務局との間には 微妙に 解釈が違っている場合があり、地方の人間には理解できないことがあります具体的なことは 誤解があっては 申訳御座いませんので、ここでは遠慮します事をお許しください。
中央と地方では微妙な温度差があるのは当然かもしれませんが 基本的な法解釈の違いが 許されることではないと考えますね。 僕が相談した経験から申し上げますと 財務省は実に丁寧にご指導くださり頭が上がりました。
ところが所轄財務局になりますと 霧がかかり 見えづらくなる場合があります。
カスミが関から発した 指導は地方に届くころには 霧が濃ゆくなるのは当然だと理解しています。
財務省のご親切なご指導に感謝しつつも、どっかの国だったら 僕など 政治犯として ただでは済まされないと思い つくづく日本のすばらしさに感謝しています。 頑張れ財務省。
6月1日
すっかり 失礼しました。 アッと言うまに 容赦なく時はながれ 季節は初夏を迎えました。
生姜は 田植え歌を聞けば芽が出ると言いますが 田植えが始まりましたので ぐんぐん芽が伸びてきました。
イノシシが不法侵入すると困りますので 漁師さんから 網をいただいて 囲う計画です。
カツオにかわって 今度は四万十の里で イノシシ捕獲の役に立つことになります。
漁師さんと一杯飲みながら 陸のクジラを捕まえたら 御披露する約束をしています。
日本の国はどうなってるの
最近の日本はドっカ くるってるような気がしますが それとも僕が狂っているのでしょうか。
国会はのらりくらりと 言い訳論争の場となり 文書カイザンは〇と× と同じ次元で堂々と国会で論証したり これでも私たちの税金が使われているのです。
日大 の教育倫理
国会よりひどいのが日大さんですね。 子供の教育のために 農家の 年収を上回る授業料を投げ出している ご父兄に頭が下がります。僕は大学とは 人材育成の場だと思っていました。 どっこい実態はそんな 生やさしい世界ではないようですね。
大学とは生徒を育てるところではなく エラ--イ先生をまもる集団となっているようです。
理事たちの身分を守るためなら 生徒を踏みつけ 殴っても いいんだと考える教育方針のような印象を国民に与えてしまいました。 日大は原点に返り 解体して 再出発を求められる 非常事態となりました。。
生徒を育て社会に送り出す役目を忘れ 保身術に眼がくらんでしまい 気が付いてみると 国民から見放されてしまいました。
これでは優秀な人材は集まらなくなりそうで心配します。
エラ-イ先生は収入を心配されていると思いますが まっと心配なのは日大と言う恐竜存亡の危機が迫っているように感じて心配します。
小さい木は倒れてもツカをすれば支えることが出来ます。 でも大木はツカ もろとも倒れます。
アリ は生き延びていますが 恐竜は 生き延びることが出来ませんでした。
信頼を得るためには100年かかります。でも信頼を失うには時間は必要ではありません。今回の事件で理事たちがその事実を学んでいただいたとすれば、高い授業料も無駄にはならないと思います。
2月28日
二月は逃げると言といってアッとゆうまに3月になります。
山の小鳥たちも恋の季節を迎え 歌ったり踊ったりするようになり、我が家の木の実もいつに間にか 食べられてしまいました。
僕などは小鳥のように 歌たり 踊ったりしている暇はなく 春の植え付けの畑作りの準備に追われています。
奥四万十でのアメゴ漁が解禁となります。
奥四万十川
ポイントは 日野地地区の松葉川温泉 周辺と家地川 周辺が期待できそうです。
あまり大きいものは期待できませが 楽しむことは出来そうです。
津野山地区
まだ奥四万十津野山つくに入ると山には雪がありますが、支流の梼原川では20センチ前後の ものが期待できそうです。
まだまだ 水は冷たいので 鮎につられて 川には入らないで下さい。
2月 22日
寒い冬も終わり 春の訪れを告げるかのように菜の花がつぼみを膨らませています。
でもまだ四万十源流の山には深い雪が残されています。
3月になれば ショウガの畑作りが始まります。 オリンピックも終盤を迎えました。 選手の皆さんの日頃の努力は僕たちの想像以上だと思います。それに比べれば農作業など 遊びにすぎないような気がします。
イノシシに学ぶ
秋に脂肪をため込んでいたイノシシは春になると余分な脂肪を 燃やして体質改善に入ります。
人間よりも先にタケノコ中心の食生活に入ります。人間は 季節ごとの食生活改善ができない為に 夏になっても肥満のママです
肉食中心の食生活から 季節の野菜中心の食生活に切り替える季節が3月でなないかと 感じます。
フキ や ヨモギも芽を出します。 竹に子も出てきます。 季節の野菜を食べることが大切な事をイノシシは教えてくれています。 農家は 春には野菜を畑に求める必要はありません。
でも ス-パ-に行けばなんでも手に入る生活になれて 自然の贈り物の尊さを忘れています。ス-パ-で 国籍不明の 肉や 野菜を買い 病院に立ち寄り 薬を手にして 帰る生活で イノシシとは隔絶のさがあります。
野性動物から学ぶことは医者に行くより 大切なような気がします
11月24
生姜の収穫も終わり 奥四万十も 寒い冬を迎えました。
春までは 冬眠に入ります。
大相撲 どうなってるの
このところ 大相撲がわからなくなりました。
といっても優勝争いではありません。例の。暴力問題 白鵬の立ち合いに対する 態度 どう考えも 褒められたものではない。
相撲は国技であり 武士道である。横綱が行司にふてぶてしい態度を見せることは 許せることではない。
暴力問題にしろ 横綱経験者が 主役になって騒動を拡大している現実には国技が泣く。
相撲は格闘技であるにせよ 土俵の下で許される競技ではないと考えますが間違いでしょうか
10月28日
生姜収穫の真っ最中です。
皮肉にも ショウガ掘りが始まると台風による雨が続き 泣かされています。
生姜掘り取りは 人手が頼りですが 高齢化で 手伝ってくれる人が 足りなく泣かされています
稲作のようにコンバインで収穫できれば楽ですが、ショウガの場合は一株一株 引き上げて 土を落とし 根っこを切り離し コンテナに20キロぐらい詰めて 貯蔵庫まで運び 高く積み上げます。
人海戦術での作業ですので 若者が頼りですが 最近は若い人で60代となりました。
台風でご心配をおかけしました。
台風被害を心配くださりお電話を頂きました。 ありがとうございます。
テレビでは大変な被害のように報道されていますが 高知県は東西に長いので 西に位置する四万十方面はあまり被害はありませんでした。
飛行場より東のほうが被害がひどかったようです。
生姜を心配していましたが 倒れることもなく,安心しました。
8月25日
パソコンが暑さに参ってしまい 気が付いてみますと早くも8月も終わろうとしています。
生姜畑を吹き抜ける風にも秋の気配を感じるようになりました。
頭上をトンボが 優雅に飛び交うようになりましたか、人間は 暑さと奮闘して草引きをしています。
人間よりずっと前には トンボは 怪獣の仲間だったかもしれません。その時代には人間の幼虫はトンボに食べられていたかもしれません。
人間は 進化しているのか 退化の道を歩んでいるのか 解らなくなりました。
人を一人殺せば殺人犯となりますが、大量に殺せば 英雄となり 毎年大臣やえらい議員先生方が 頭を下げてくれます。
集中豪雨と四万十
全国的には今年の夏も集中豪雨による大変な被害が出ました 。 失礼ですが奥四万十では 200ミリや300ミリの雨は シャワ-を浴びているようなもので 農作物も豊作となります。 昔は水が生命の源でしたので 川沿いに住宅が建てられていました。
ところが 明治の大洪水で 牛や馬とともに家は流されました。
原因は 山津波により 上流で川がせき止められ、ダムが出来たためでした。 水量が増すにつれて 臨時のダムは 一気に崩れ 下流に壊滅的な爪痕を残しました。 歴史は必ず繰り返されると肌で感じている住民の知恵で以後 住宅は不便な山側に 移住して今日に至っています。
はるか山の上に 住宅が見えます。そこには肥沃な土地と水があります。
下界を見下ろしながら 200ミリの雨のシャワ-を満喫した生活を選ぶか。川沿いの便利を天秤にかけた生活を選ぶか それは自由です。
四万十を旅する機会がありましたら こんな点にも気をつけてください。
恐ろしい山津波
四万十の歴史には 馬や 住宅が流された記録が刻まれています。・
終戦後 マッカサーの権力で 日本再建が始まりましたが、そんなに水量豊かな四万十川ならダムをつくったらくたらどうか。 アメリカのフロワ- さんが提案したことから ダム反対運動が燃えあがりました。
もし反対運動がなかったら 今の四万十は姿を変えていたと思います。
ダム反対運動が終結してから 数十年経過したころから今度は 水かだめなら原発はどうだと火の手が上がりました。
水力ダム以上の反対運動が燃え上がりました。 それでも半数の住民は 保証金の魅力のとりこになり賛成していました。
貧しいの農民が 豊かになる金のなる木に 心を奪われてゆきました。反対運動は怪獣にトンボが立ち向かうようなものでした
右翼が肩をなびかせて うろうろしている姿に住民は怯え オロオロしていました
この時 「この喧嘩 俺に任せろ」と 牛の糞にまみれた 酪農家が立ち上がりました。
一方養鶏家は バタバタするだけで モウ ケッコウ と泣いていました。
四万十隣接地の原発を阻止したのは モ- 反対に立ち上がった酪農家の力が大きかったと思います。
7月20日new
生姜も伸びてきましたが、 草も伸びてきました。
草と暑さとの格闘が続いています。 どう見てもこの格闘には 人間が負けそうな気がします。
後期高齢者にとっては土俵に上がる前から 勝負は決まっているような気がして 戦闘意欲を失いそうです。
引退しているつもりですが、健康管理のつもりでショウガを作付けしています。しかし、草には負けそうです。
前回6月20日から一か月が経過していしまいました。
この間 パソコンの部品交換が必要となり ひとりごと は中断を余儀なくされてしまいました。
高知県内で 一番小さな村の奮闘が続いています。
離島を省けば 日本一小さな村として 頑張っている村が 議会の存続に 悩んでいます。
といいますのも 村の人口は 男 199名 女 207名 計 406名 所帯数228
さてⅠ所帯当たりの家族数は 何人になるでしょうか。 サッと答えられる方は 痴呆症の心配のない方です。
議会の定数は6名ですが 定員確保が難しくなっています。議長を省けば 議案の賛否は5名で議決することになります。
つまり 一名の議員が議決の賛否の命運を決することになります。
一票の重みに住民が たえられなくなってきました。 そこで考え出されたのが議会を廃止して 村総会に移行する案が検討されています。
右手に持っているものを左手に移すだけのことに過ぎないのではないか。難しい問題に直面しています。
この問題の答えを出せる人は痴呆症の心配のない方です。
がんばって 答えを出しでください。 あなたの提案に期待しています。
大川村は 合併によるよる村発展の道を選択しませんでした。 この日本一小さな村が存亡の危機に直面しています。
皆さんの力で 守ってください。 平成の大合併がすすめられましたが、いざ合併してみますと 小さな村が 消え 津波対策に呑み込まれ 村が町名に変わっただけの変化しか感じられないのが 実情のような気がします。 発言すれば 首が飛ぶような大臣に扇動され 合併に進んだ 過疎住民の選択が 正しかったと答えられないのが現実です。
過疎の村を救うのは 合併の力ではなく 人口は少なくてもそこに住む住民の村を愛する力の結集ではないかと考えますが 間違いでしょうか。
6月20日
雨の少ない梅雨です。
梅の収穫には都合の良い天候ですが、水田の水不足が 心配になってきました。
土佐沖をながれる黒潮の温度が2度ぐらい上昇していることに原因がありそうです。
茶瓶の温度なら 下げることもできますが、 海を相手には簡単に温度を下げることはできそうにありません。
高知に夏にはご訪問いくださっていた台風もここ数年は 姿を見せません。 ありがたいことですが 雨が降らないためにショウガの生育に影響しています。 ショウガは湿気を嫌いますが、乾燥も生育に影響しますので 頭の痛い問題です。
大川村が議員定数確保問題でゆれています。
平地はダムにより水没し 住民は山の上に追いやられました。これでは生活できないと若者は村を去り 残った村人に人口増を期待することは無理となっています。 数十年前までは 過密対策に取り組み産児制限が行政の福祉対策でした。
保健婦は 変な器具の普及に取り組み 取り扱いも. していました。 保健婦の指導の行き過ぎで 今度は人口減が問題となり過疎の村では 議員確保が難しくなりました。
今度は保健婦が、どんな 過疎対策に取り組むのか。期待されていますが、具体策を示していません。これでは男の立つ瀬がないと頭を抱えています。
過去におこなった 保健婦指導の成果により人口が減少 ついに過疎の村では議員定数確保が難しくなったのです。
人口約400人の高知県大川村では 、村議会を廃止し、有権者全員で予算案の審議 などをする「村総会」の検討を始めました。
議員の定数が確保できないのに、、村総会 人員をどうして確保できるのか。 答えがわかりません。
村総会に参加する村人が議員になれば、解決するような気がしますが、もっと複雑な方程式かもしれません。
9月24日
台風のご心配頂き感謝いたします。
奥四万十では210日前後は台風シ-ズンですが 黒潮の温度が高くなり直撃 台風のご訪問が 少なくなりほっとしています。
今回の台風も雨台風で大した被害はありませんでした。それでも 奥四万十の雨量は多く、アユも 下流に流されてしまいました。
奥四万十では20~30の風は そよ風ぐらいにしか感じていませんし、30度程度の温度は 当たり前ですのでニュ-スにもなりません。
今回の台風では 生姜には 大した被害は出ていないようですが、晴天になると病気が心配です。
雨が降りますと生姜はドンドン成長しますが、晴天になりますと日射病(?)になります。
過ぎたるは及ばざるがごとしです。後1っか月もすれば生姜の収穫が始まります。
8月21日
暑い夏も 峠を越したのか 秋を告げるそよ風が奥四万十を吹き抜けてゆくようになりました。
高校野球が終わると 急激に秋を感じるようになります。
生姜畑に咲く花も秋の季節を告げています。 生姜畑の草引きをしましたが吹き抜ける風にも 季節が急ぎ足で夏を駆け抜け秋が近づいている
ように感じます。 高知では 空港近くの水田では秋の収穫が終わり、新米での酒の仕込が始まっています。
9月になれば新酒が 消費者に届けられるようになります。
7月28日
何時に間にか8月に入ろうとしています。
奥四万十の里には秋を感じるようになり、夜は網戸では寒くなりました。
エアコンもない夏を過ごして いますが 自然が季節の移り変わりを教えてくれますので、快適な夏でした。
四万十のかわらでは 子共たちの声が川辺にこだましています。
でも さびしいことに 村の子供の声ではありません。 年間1~2名程度の子供の誕生ですので 水遊びをするのは 町の子供たちです。
上流では天然林まで 切りつくしてしまって 奥四万十を流れる水量も減ってきています。 その上川遊びの声は都会からキャンプに来た子供たちなのです。 川から上がれば、昔の姿を取り戻した耕作放棄地が迎えてくれます。 美田は イノシシやシカの遊び場となりました。
暑さにも負けず生姜は成長しています
生姜畑にイノシシやシカが不法侵入しますので 山側の 雑草を 刈りました。 明るくすると彼らは警戒して里山に降りてこなくなると 期待していますが、 現実はそんなに甘くないのですが? 前方に見えるのは こちらではバッショウと言っていますバナナの原種の様な植物です。 たまには ミニバナナ が育ちますが 成長途中に秋が深まりますので 試食した事はありません。 一度味見をしたいものですが、その前に霜の害を受けるのです。 やがて 温暖化が進めば バナナの産地になるかもしてないと考え 育てています。 |
6月4日
6月に入ると生姜の芽が出てきました。
4月に植えた生姜もやっと芽が出てきました。
早速夜盗虫が出てきて 大切な芽を 食べ始めました。
最初の芽を切られますと 収穫は半減します。 早朝に畑を回って 手で捕まえて います。
また 雑草が生えてきますので 見つけ次第 引き抜いています。
「上農は草を見ずして草を引き 下農は 草を見て草を引かず」 です。 ?
アユ漁が 解禁になりました。
高知県内の河川で アユ漁が解禁となりましたが、全体的には小ぶり ですが 水温が上昇すれば 楽しめそうです。
四万十川 中 下流では3月から5月に かけて 2トンほど放流していますので 8月に入れば楽しめそうです。
近年溯上アユは期待できなくなりました。災害のたびに 川の両岸がセメントで 覆われ 水は大急ぎで下流に流れてゆくようになりました。
川辺に 茂っていた 木は切られ、竹林はセメントに変わりました。
途中には ダムがあり 、水を太平洋側に落して発電している為に 水量が少なくなり、上流では 放流が主流となりました。
ウナギの住家である 岸辺はセメントとなり、石などは流され、アユのように 放流しなければ ならない時代となりました。
人間が 自然を都合の良いように解釈して 発展してゆく文明に 警鐘をならしている水害被害の警告を謙虚に聞く耳を持つべきだと感じています。
5月10日
季節は新緑の5月に入り 山々が美しくなりました。
すっかりメ-ルをお休みしていましてスミマセン。 実はトラブルで更新でくなくなっていました。
やっと解決しましたが 生姜の植え付けに入りましたので なかなか更新が出来ませんでした。
生姜の植え付けが終わっりましたので 奥四万十の山を越した仁淀川町の山郷に出かけてきました・、
この写真は仁淀の里山の写真です。 若者は村を離れお年寄りが村里を守っています。 畑を耕す労力がないために みんなで畑に花木をうえて 里山全体を花で飾っています。 僕が訪れた時は 5月4日で 満開の時期でした。 多くの人が花見に訪れていました。美しい花に魅せられた訪問者たちに感心したのは ゴミを捨てていないことでした。 さすがに花を愛する人はマナ-が良いと思いました。 入場料を徴収していないので 申し訳ない気持ちがしましたが、 村中が花いっぱいですので 入場料など ミミチイことは 考えていないようでした。 申し訳ない気持ちで 花見をさせていただきました。 ありがとうございました。 |
2月12日
二月は逃げると言いますが早くも 奥四万十の里は 春の風が吹き抜けるようになりました。
生姜畑の 整地作業は 2月中に終わる必要があります。3月に入ると雨が多くなり整地に苦労することになります。
雨が 多くなることは四万十川に清流を供給する水量を 増やすことになり 喜ばしい事ですが、生姜農家にとっては 苦戦することになります。
4月10日から 奥四万十博 が始まります
山郷にはまだ桜が咲いている季節に 四万十博が始まります。 四万十川に 新緑を映し出す 季節に行はれますので 「オマン よう来てくれたねや」 といって 待っています。
奥四万十と言っても広域になりますので、海 あり 山あり 過疎の里 ありで 昔の姿そのままの 漁村ありで 近代的な 姿を想像していたら失望する事をお約束します。
川べりの竹を切って 糸をたらして 川魚を釣ったり 河原で釣った魚を焼きながら 炊事をしたり 野原で山菜をとって 料理したり 思い思いの 発想で 楽しむ四万十博となります。 人工的な施設で飾った博覧会を想像して訪れた訪問者の方には失望することを御約束します。
有意義だったか「」 「つまらないと感じたか」 その答えを出すのは あなたが決めることになります。
1月1日~1月10日
あけましておめでとうございます。
毎年今年こそは====と決意するも一年を経過する頃になると来年こそと決意することになります。
でも今年種をまいた植物には来年こそ---は通用しません。
農業は一発勝負なのです。 厳しいですね。
畑の耕起が始まりました。
生姜の畑の準備を始めました。
冬の間に有機質の投入を行います。土となじませ 微生物の力を借りるためには 冬の間に耕起して 畑つくりの準備をしています。
2月頃より 整地に入りたいと思っています。
畑を耕していると 山から小鳥たちが降りてきます。
ミミズや虫を食べ やがて訪れる春に卵をうめために 体力をつけているのです。
自然界も春の準備に備えているのです。
11月 20日
9月10日
奥四万十の里は 日増しに涼しくなり 朝は上着がほしくなりました。
生姜は後 30~40日すれば収穫に入ります。
長い雨が続きましたが 例年程度の豊作になると予想して 一様安心しています。
10月20日を過ぎますと掘り取りが始まりますので、四万十の旅の途中でも結構ですので収穫体験を希望される方はお立ち寄りくださいませ。
10月18日に 「四万十ウルトラマラソン」が開かれます。
マラソン参加定員は2200人ですが、参加希望者は6135人ありました。
抽選に漏れた方は 来年挑戦してください。
四万十沿線の美しい景観を楽しみ 沿線の人たちとのふれあいを楽しんでほしいと思います。
8月26日
秋風が吹くようになり、生姜はどんどん成長してきました。
11月の掘り取りまでに 球根の成長を急ぐ必要があるのです。
短日性植物は気候の変化に合わせて 成長をコントロ-ルしています。
台風のご心配に感謝いたします。
台風被害は少なかったです。水量が増えましたので アユは下流に旅たちはじめました。
下流えと旅だったアユは二度と奥四万十に帰る事はありません。
寂しい別れですが 仕方ない宿命です。
立派な卵を産んで来週も稚魚たちが 上流を目指して訪れる事を祈るのみです。
昔は遡上するアユの群れに 川はにぎわっていました。
冷蔵庫のない生活でしたので 海の魚は塩サバが主役で 生魚は四万十のアユやウナギが主役でした。
大人も子供も川で遊びながら 石に隠れているアユを手で捕まえていました。
夢中で漁をしていた御婦人が立ち上がろうとしたら 御腰の方が重くて立ち上がれませんでした、。
調べてみると モンペやパンツの中にアユがもぐりこんでいました。
今は火振り漁もできないほどアユも少なくなり 夏が来ても川辺にこだまする子供の声を聞くことはなくなりました。。
時々川から子供の声が聞こえますので行ってみると 町から来たキャンプ中の子供たちでした。
奥四万十の村大野見では年間二人生まれても 30人が 宇宙えのたびに消えています。
8月1日
早くも8月に入りました。
奥四万十の里は 高校野球が終わると秋風が吹くようになり、 急激に気候は秋の準備に入ります。
生姜は炎天下にさらされ、これからは病気が発生する時期に向かいます。 神に祈るような気持ちで 成長を見守っています。
生姜畑にイノシシやシカの訪問をうけ 招かざる客から生姜を防護するためには、現行犯逮捕しか道はなく捕獲用のオリを設置する事にしました。
手作りですので大変ですが 完成品は高額ですので 自己流で作っています。
7月17日
生姜がやっと伸びてきて ホット一息ついたかと思えば 今度は台風の接近におびえています。
倒伏を防ぐために 網を張り 防護する必要があります。
自然と 戦っても勝ち目はありませんので、ひたすら防護に徹するより外になすすべはないのです。
どっかの偉い先生にお願いして生姜を護る為の[安保法案]を制定してもらえば 台風もそれてくらるのではないかと考えながら 防護網を張っています。
人間のエゴでしょうか
台風が東部の室戸に上陸したので 西部は雨や風の被害からま逃れました。
みんな「台風がそれてよかったね」と会話しつつ胸をなでおろしています。
台風が立ち寄ら無かったことは 別のところに立ち寄っているということになります。
[台風がそれてよかったね」 と言う会話には引っかかるものを感じます。
「自己中心的でなないか ? 農民のエゴではないか 」 気になりますがやっぱり台風はそれてくれるとほっとします。
2015年 6月16日
パソコンとの意見の相違によりしばらく更新していませんでしたが、やっとのことで 再契約が出来ました。
3月から4月にかけて生姜畑の整地を行い5月には植え付けが終了 6月には早くも芽が出てきました。
ところがどこから出てくるのか夜盗虫が出てきて 夜になれば芽を食べます。
生姜は一番芽を喰われると収穫が半減しますので早朝に巡回して手で拿捕します。
おかげで早起きが出来ますので、健康のためにはよいのかもしれません。
![]() こうして雑草を抑えています。 |
新年を雪が祝福してくれました。 高知では雪の正月はめったにないことです。 道路を車か走る事もなく静かな正月となりました 昔は雪ダルマを作る子供の声でにぎやかでしたが、今では凧揚げ風景も 雪だるまの風景も見る事はなくなりました。 一年間に出生する子供の数が2~3人で 、イノシシは200頭以上生まれています。 やがて奥四万十の里は 野生動物が支配するようになることは確実となりました。 でも人間と違って野生動物はお互いに殺し合うことは無いのです。 平和とは--?の答えを野生動物から教えられ時代に入りました。 |
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台風で檜が倒れました 台風により発生した竜巻により 倒れた檜です。 生姜畑に横倒しとなり ました。 収穫の邪魔になりますので撤去しました。 |
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収穫を迎えた生姜の姿です 消毒をしていませんが こんなに育ちました。 収穫作業を手伝ってくれる人が足りないので困っています。 どなたかお手伝いくださる方がおいでましたらご連絡くださいませ 宿泊も出来ますので秋の奥四万十の旅の途中でも結構ですのでお立ち寄りくださいませ。 |
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倉庫の前は川になっていました。 流木が谷川をせき止めたために流入してきたのです。 |
生姜畑には大木が倒れていました。 |
生姜畑は水に流され無残な姿になっていました。 |
生姜畑は川になっていました。 |
被害を受けた生姜は新生姜を希望する消費者に贈りたいと思っています。 |
見事に激流にさらされた生姜。前方四万十川本流は素知らぬ顔で流れていました。。 |
沈下橋はまさに水面下に沈下しようとしています。 |
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沈下橋の入り口に建てられている案内板です。 普段は看板の写真のように水面に頭を出しています。 800ミリも雨が降れば上流から流木が流れてきて激突するかも しれないのです。 そこで水面下に沈んで災害を逃れようとしているのです。 |
台風が雨を運んできてくれるおかげさまで生姜はどんどん成長してきました。 高知が生姜の産地となったのもこの台風の恩恵もあります。 生姜は台風で倒れ全滅の危機にさらされる年もありますが、台風が雨を運んでくれなかったら 高知が生姜の産地にはならなっかと思います。 しかし雨も程度もんで800ミリを超しますと話は別になります。 水道管が破裂したような雨が降りますと800ミリを記録することになりますが、そうなれば 四万十川はあばれ川に変身するのです。 |
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5月5日 生姜の植え付けが終わった畑には黒いマルチを敷き詰めました。 これは雑草から生姜を護る為です。 除草剤を使いませんのでそのままでは生姜より先に雑草が芽を出してきます。 そこで黒マルチで一面に覆い雑草の発芽を抑える戦略をとっています。 風が吹くとマルチは飛びますので石を重しにしています。 ところがイノシシやハクビシンがこの上を歩いて穴をあけてしまいます。 有機栽培言っても簡単ではなく雑草と野生動物との共存と言う難しい問題に直面 することになるのです。 |
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四万十川財団の認証を受ける事が出来ました。 四万十川の保全に取り組んでいる四万十財団のブランド認証を受けたことにより生姜販売代金の一部を四万十の保全に役立させていただくことになりました。 「四万十の誓い」 人々に大いなる恵みを与えてくださる母なる四万十に対する感謝を胸に世の人々に愛されるよう日々精進することを約束します。(要約) 認証にはこのような誓いの言葉が記載されています。 四万十財団HPで紹介されています. |
写真は種生姜を並べて植えている状態ですが、あとは土の布団をかぶせて植え付け作業は終了です これですべての作業は終了すると思っては大きな間違いです。草の発芽を防ぐためにクロマルチで覆う作業が待っています。 ※左の奥に見えます構造物はイノシシやシカを拘束するための留置場です。 有機物を多く投入していますのでミミズが繁殖しイノシシが畑を掘り起こすことになります そこで畑に入る前にオリに入れて反省して頂くことになります。 植林が進み雑木が消えて木の実がなくなり不本意ながら生姜畑のミミズを食料として求めるようになりました。そんなイノシシの気持ちも理解できますが、僕にも僕なりの事情がありますので現行犯逮捕せざるを得ないのです。 |
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我が家の前の県道にも桜が満開となりました。 この桜の下を奥四万十の源流を目指して若者が 駆け抜けてゆきます。 生姜畑からこうした光景を眺めています。 、生姜農家の宿命でしょうか、さくらが咲いても見上げるゆとりもなく畑に直行しています。 4月10日がすぎれば生姜の植え付けを始める予定です。 |
4月になれば生姜の植え付けが始まりますので畑の準備をしています。 準備と言っても簡単なことではなく、荒れ地を開墾して二宮金次郎になったつもりで開墾をしています。 農薬に頼らない栽培のためには毎年新しい土地を求める必要があるのです。石がゴロゴロ 出てきますが二宮の金ちゃんになったつもりで頑張っています。 勿論僕は金ちゃんほど偉くは無いので機械のお世話になっています。 そんな現場に「四万十川財団」の方が現地視察に訪れてくれました。 今年植えつける生姜の 「四万十プランド」の認証を認めるかどうかの現地視察と言うわけでご訪問とくださいました。 |
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生姜の収穫が終わりましたが、ホットする間もなく消費者との交流会のご案内をいただきました 。 時間とお金の都合で、夜行バスで出かけることになりました。 高知を21時30分に出発して京都についたのが朝の8時 ざっと10時間以上かかりました。 四国は外国にゆくより時間がかかるんです。 電車も信号もない村から出かけているんですから、アッタリ前かもしれませんがそれにしても四国 は島國だとの実感がわいてきました。 京都駅前では「 原発いらない」「原発反対」と叫ぶ市民の声がこだましていました。 一方では原発の危険性を密封するために「秘密保護法」を早期に制定するために国会の偉い 先生方は法案の可決の時を待っているように感じてゾットしました。 |
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京都では秋のモミジが僕を迎えてくれました。 四万十でもモミジは 川辺に紅葉を映していますが、京都のモミジは四万十とは一味違った風情がありました。 歴史の深みを語りかけてくれる美しさに感動しました。 嵐山では台風の爪痕がいたるところに残っていましたが、ボランチヤの力で見事に立ち上がって いました。 外国の観光客は、 商店の略奪もなく整然と復興に協力することと、被災地のトイレのきれいな事 に感心していました。 日本の文化の深さを感じた秋の京都でした。 |
生姜の収穫は11月上旬に終わりました。 消毒もしないで栽培しましたが、、それなりに育ってくれまして自然の力に 感動しました。 手伝ってくれている人は 何歳だと思われますか。? 今年95歳の方ですが、生姜の収穫が始まると応援に来てくださいます。 「生姜の力で元気をもらっているから」と収穫が始まりますと家でじっとしていられないそうです 生姜パワ-で100歳まで手伝ってほしいと思っています。 |
秋の深まりとともに生姜も急成長してきました。 気温も急激に下がってきました。生姜は賢い植物で温度が下がってくると茎の成長を中止して 根茎に養分を貯蔵するようになりました。 生姜は人間に食べられることは想定外の事で、生姜にしてみれば種子として子孫を残すための準備に入ったのです。 私たち人間が植物を食べることは植物の命を頂くことなのです。 食用に利用させていただいた感謝の気持ちを込めて来春には一部を種子として利用して大切に育ててゆく事になります。 それが事前のサイクルなんですね。 |
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炎天下 開墾していたら石がゴロゴロ出てきました。 ご主人の方は極めて いし(意志)がよわい 方ですがあざ笑うように 意思まちがいました 石は遠慮なく出てきます。 これがお金ならいいな~~~~と思いますが、世の中そんなに甘い もんじゃないとあきらめました。 来年春に 植えつけて 年末に収穫 再来年から出荷が始まり、ます。 つまり百姓の手にお金が入るのは2年先になります。 月末にはジャンジャンとお金の入るサラリ-マンには想像もできない気長い 職業 それが農業なのです。 あわれに思う方は この石ころで育てた 有機栽培の生姜をかみしめて くださいませ。子供に食べさせたら根気よくなると思います。 |
17日の病院での検査では順調に回復しているとの診断報告を受けました。 そこで映画を見て帰ることにしました。 「県庁おもてなし課」をみました。 行政は街づくりや観光行政のもとに箱モノを作りますが高知県では自然を守る 事が 農業にとっても観光にとっても原点だとの考えかたがあります。この考えが基本となって「県庁おもてなし課 」の映画化となったのです。 高知県は四国山脈とクジラの泳ぐ池にかこまれ 人の交流は遮断されています。 そんな地形では箱もの観光は期待できません。 だったら美しい手つかずの自然を守ることが観光の原点ではないかと 気が付いたのです。 |
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映画の舞台にもなった高知の山間部には自然が残されています。 残されたのではなく昔からの自然の中で今も人々は生活しているのです。 この森の奥の集落ではソバが植えられていました。 昨年は不作だったと 村人は話してくれました。 けっして観光のために残されている自然ではありません。 そこで生活している人たちが自然との共存の中で守り守られてきた結果なのです。 便利を追及する時代から取り残された集落とは言はないでください。 文明が「失ってはならない」何かを語りかけているいるように感じますから --------------------- 写真は「県庁おもてなし課」の舞台にもなった高知の山郷 (高知県吾川郡仁淀川町名野川にて) |
本格的な初夏の訪れを待っていたかのように川辺には釣りを楽しむ 人でにぎやかになりました。 と言っても養殖のアメゴを放流して 釣りを楽しんで:います。 上流の自然林を伐採して人工林になりましたので、アメゴも養殖物が 主流となりました。 自然林を伐採して植林しましたが今は二束三文 となりました。現金収入のない山村住民は補助金に飛びつき天然林を伐採して植林を進めました。。 あれから60年伐採しようと思えども外材が主役となり、一銭の収入にもなりません。 でも神様は見捨てませんでした。 山に入ることができないように山の神は 山村の住民には神経痛の報酬を与えてくれたのです。 |
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四万十川財団の組織が変更されました。 四万十川の環境保全活動を進めている「四万十川財団」は県主導の取り組みから流域住民主体の組織に改革されることになりました。 県職員が務めていた事務局長は民間から選ぶことにな、り神田修さんが採用され新規一転して取り組んでゆくことになりました。 神田氏は長野県出身で斬新な発想での活躍が期待されています。 四万十川を訪れた時はぜひお立ち寄りくださり,見分を広めていただければ、また違った四万十の姿が見えてくるかもしれません。トップぺ-ジ からリンクできます |
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台風のご心配をおかけしました。 台風は洋上を通過しましたので大したことはありませんでした。 収穫前の稲も少し傾きましたが豊作で来週には刈り取りたいと思っています。 田植えから今日まで水管理だけで足を踏み込んでいませんのに黄金の稲穂が頭を下げてきました。 雨が適当に降る日本は昔から米を主食にしてきました。歴史の深さを感じています。 生姜は写真のように収穫を待つだけとなりました。 11月には消費者の方による収穫も予定しています。 8月には雨ばかりの天気が続きましたが、生姜と稲は雨を好みますので豊作となりました。 |
コウモリさんの訪問を受けました。 我が家の倉庫ではコウモリさんの訪問を受けました。 昆虫の住処に侵入してごちそうにありつこうとしたのでしょうか。 生姜の貯蔵庫の地下トンネルにはコウモリが住み着いていましたが、入り口を サッシでしめて生姜を貯蔵していますので最近は出入りが出来なくなってしまいました。 コウモリに申し訳なく思っていましたがこれで一安心できました。 |
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生姜も急激に成長してきましたが、待ってましたとばかりにイノシシが出没するようになりました 一夜にして掘り起し夜明け前には山に帰ります。 人間は明るくならないと畑には出かけませんがイノシシは夜行性なので夜に行動します。 掘り起こしても生姜は食べません。 人間に残してくれています。 どうして掘り起こすのか御解りになりますか。 実は生姜を目的に掘り起こしているのではありません。 有機質肥料により土壌が肥沃していますのでミミズが繁殖しています。 このミミズがイノシシの好物と言うわけです。 有機農業って簡単に言いますが難しい問題が次々と発生してきます。 たかがイノシシ一匹にも勝てないのが人間なんです。 |
奥四万十はB29の飛行コ-スだったかも 奥四万十には防空壕は必要ありませんでした。 B29もこんな山奥には用はないと爆弾は落としませんでしたから。 瀬戸内方面を爆撃して土佐沖の母艦に帰るのか四万十川沿いに上空を三機編隊でB29が通過する程度でした。 でもたまには余っている?爆弾を落として通過してゆきました。 「日本は負ける」と子供心に感じて、どこまで焼き尽くされなければ目が覚めないだろうかと考えたことでした。 今考えると上空を飛んだ飛行機に、もしかしたら広島に原爆を投下した飛行機も含まれていたのではないかと思うことがあります。 恐ろしいのは戦争を知らない子供たちが政治を動かす時代になり、頭で知ってるつもりの子供たちの時代に入ってることだと思うこの頃です。 紛争国で核を使う危険はそこまで迫ってきています.平和利用の名のもとに建設されてゆく原発は核を拡散し,再利用のもとにひそかに核兵器としての開発が進みゲリラの兵器となる時代に入りました。 |
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作り出される原発の必要性 原発のない生活は不可能だろうか。 原発の発電コストが他のエネルギ-に依存するより安く国民に供給できるという 政府の説明に間違いなければ、なんで国家予算を何千億もつぎ込んで電力会社の経営援助の必要があるのか。いやいや国が負担する事故処理や解体までの経費は何十兆円必要になるのか誰にも予想できない負担をこれから私たちが孫たちが背負ってゆくことになりました。 そんなことを考えながら生姜畑で作業をしていたら 、真昼間に太陽と競争して四万十川を照らしている街灯に気が付きました。 原発事故で電力不足になると躍起になって節電を呼びかけていますのに四国電力では昼間も 街灯をともさなければ電気の消費は伸びない経営上の悩みがあるのでしょうか。 原発の必要性を訴えるための演出として電力不足を叫び片方では昼間も街灯をともして電力 の消費拡大に血なまぐさい努力を重ねています。 電力会社の車もお役人の車も見てみないふりして通りすぎてゆきます。 この世の中どっか間違っていると感じるのは生姜畑のひとり言にすぎないのでしょうか。 |
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生姜畑にゆく途中四万十川の美化に取り組む自然愛好会の作業出発前の光景に出合いました。 自然愛好会は川にゴミが流入しないように沿道の空き缶やごみ拾いのボランチヤを続けています。 捨てる人あり、拾う人あり、人さまざまですが、最近はめっきり空き缶を捨てる人もゴミを捨てる人も少なくなりました。 先般 本家軽井沢 に行って感心したことは空き缶などが捨てられている光景を見ることがなかった事でした。 奥四万十の軽井沢も負けてたまるか。改めて自然愛好会の活動の意義を再認識したことでした。 ( 自然愛好会 代表者田上庄吉 ℡0889-57-2474) |
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マルチを外すと早速中耕作業に取り掛かりました。。 生姜の芽が出てきだしましたのでマルチを外し早速中耕することにしました まだ芽が出始めたばかりですが、長雨で土が固まっていますので、中耕により根の発育を助け、生育を促進する手助けをしています。 後方は四万十川です。 奥四万十の流れを背に作業していますと気持ち良い風が吹き抜けてゆきました |
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早くも3月 生姜畑の準備が始まりましたが 雨が続き 休戦状態となりました。 荒地を耕した畑の石拾いをすることにしました。 休耕している畑があるのになんで石の多い荒地を耕すのか 物好きと笑われても荒地がかわいそうでついつい石を拾って 整地したくなります。 こんなに大きい石と格闘しています。 |
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二月は逃げると言はれていますが、早くも新年から40日も経過してしまいました。 今年は大雪のニュースが伝えられていますが、奥四万十の里には春を告げる梅の開花が見られるようになりました。 今年は四国の島には小鳥の姿が見えませんし鳴き声を聞くこともなく不気味な気がしています. 生姜の敷き草には輸入品が使われていますがTPP反対の立場から有機栽培の自家製の稲藁を使いたいと決意今は集めては束ねています。 |
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2011年
12月10日
生姜の収穫も終わり、奥四万十の里にも寒い冬の到来を告げる北風吹くようになりました。
今まではあまりにも暖かく「吊るし柿」が腐ってしまいました。
北風が吹かないと吊るし柿には、カビが生えるしハエの餌になり、やっぱり冬は寒くなければダメですね。
来年の事言ったら鬼が笑うそうですが、来年の生姜植え付けのために 早くも天地返しを行い、有機質を投入して土作りに入りました。 冬は寒くなければ虫たちは有機肥料で暖房しながら越冬しますので 頭の痛いところです。 |
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10月に入り朝夕寒さを感じるようになりました。 高知馬路村で行はれたたフルマラソンに参加していた大阪の宅配ドライバー 仲間が 今度は生姜の収穫を体験したいと我が家の畑に飛び込んできました。生姜を配送して下さるドライバーが荷主の収穫体験をして「生産者の思いも消費者に届けたい」 そんな気持ちからの訪問だとのこと。 人と人 物と物が意外な形で結ばれていることに感動した一日でした. 「あいたくて都市生活」に参加してなくてごめんください 消費者の方から今年も「あいたくて」に参加するのかお問い合わせがありましたが、参加できませんでしたことお詫びします。来年はご縁がありますようにいのっています。あいたいで~す |
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9月も早中旬に入りました。生姜は毎日降る雨に大喜びで 成長しています。 10月15日頃より収穫に入る予定です。 奥四万十は放射能の心配はないと思っていますが、 地球規模での拡散が心配になりました。 |
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学校のすぐ近くで村の中心地にある一戸建て住宅です。 近くには病院 役場 老人ホーム 隣にはコンビニや学習塾もあります。 裏山の森の中に学校があり高速道路中土佐インターまで30分で行けます。 仕事は村内の企業で採用してくれると思います。 小 中学生のいるご家庭で奥四万十の静かな環境で・学ばせたいと希望するご家族に限らせて いただきます。周囲に心配なくピアノも練習できます.ピアノハ無料でお貸し出来ます。 |
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8月20日
先般BSジャパンで放映されたドライヴAGO GOの制作会社からDVDが送られてきました。
多数複製しているため多少画質が落ちているとのことでした。
DVDご希望の場合は 03-5365-9711に電話してくだされば対応してくださると思います。
視聴者からのお電話から「四万十川はやはり皆さんに愛されているのだ」と実感しました。
8月12日
生姜畑の雑草は我がもの顔で遠慮なく勢力を伸ばしてきました。
かくなる上は一本一本手で雑草を引く以外に方法はなく炎天下で、格闘する羽目になりました。
盆が来ようと、鳴子踊りが始まろうと、熱中症で倒れるニュースを聴こうがただひたすら草引きに明け暮れる羽目になりました。
生姜の葉っぱで休んでいる、トンボが羨ましくなりました。
我が村を離れた福島の被災者
奥四万十の里に滞在していた被災者一家がひとまず福島に帰りたい一心で村を出てゆきました。
子供に蓄積されてゆく内部被爆に怯えながらそれでも福島に帰る以外に安住の地はないのでしょうか。
避難区域外として補償の対象とならないかもしれない不安と、農産物が売れる保証はなく、収入の道を立たれた挫折感 登校拒否にまでなった子供の現実
何一つ解決のめどもないままに村を去ってゆきました。
「村の学校は先生も生徒も暖かく親切に迎えてくたさいました。子供も学校が楽しくなりました。.出来ればこんな素晴らしい環境で子供を学ばせたい。しかし子供を残して福島には帰れない。」 そんな言葉を残して村を去ってゆきました。
京都では送り火に使う福島の松の使用を中止しました。
セシウムが検出されたのです。
燃やしても失われない放射性セシウム、京都の人は中止で一件落着かもしれません。」
しかし福島の農産物の危険 蓄積されてゆく内部被爆の恐怖 一本の松を通じて京都から警告が発信されたのです。
8月2日
このところ毎日のようにスコールがあり、生姜はどんどん成長してきました。
生姜は暑い夏は水浴が大好きで,晴天が続くとわざわざポンプで水を飛ばしている農家もありますが、僕は自然にお任せしています。 だから午後のスコールはありがたいですね。
迷走する福島の農民
月刊誌からの原稿依頼を受け、締切の時間との格闘をしていたら、福島の方が一時避難に我が家にやってきました。
藁が汚染されていることは農産物も汚染されているはずで、子供たちにこれ以上「放射能を蓄積さすのが怖い」との親心から安住の地を探して流浪の旅を続けているとのこと。
放射能の子供が来た
ある避難地の学校では机に「放射能の子供」と言う意味の落書きをされていて、ショックをうけ登校拒否とり、「1学期は休学した」」とのこと。
「だったら四万十源流地域の学校に転校したらどうか」と言ったら「福島から遠すぎるとのこと」
原発事故の恐怖にさらされても尚「ふるさとを捨てきれない」現実
しかも「ワラさえも汚染されているのに農産物はなんで汚染されていないのか」 政府の対応に対する農民としての不安
しかも藁が汚染されているというのに避難地区の指定を受けられず、個人負担で避難地を探して流浪の旅を続けざるを得ない一家
「一番の犠牲者は子供ではないか 」 今回の原発事故は金や時間の経過では解決のつかない問題を私たちに投げかけました。
安全の神話はヤラセでした
私たちの隣町に四国電力が計画した原発にはブルサーマル導入が計画されていました。四電が開いた原発関連のシンポジウムではヤラセで組織的な動員と発言を依頼 反対意見の封じ込めが行われました。
経済産業省は集会後ブルウサーマルは出席者の過半数が理解を示したと公表
こんなでたらめな見解を示している現実を信じられず、流浪の旅を続ける一家の責任は誰にあるというのか
今も電力には反省の言葉はないがあえて発言したい
「子供が一番大きな犠牲者になっているとーーーー」(´;ω;`)
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7月13日
テレビ取材班の訪問を受けました。
生姜の草引きから帰ってみるとテレビ撮影の一行が待っていました。
何でも四万十川下流から上流の生活風景を俳優さんを進行役にして撮影しているとのこと。
我が家の撮影目的は「生姜の貯蔵に電気を使わずに」地下に貯蔵していることが評価されたようです。
地下室では女優さんは頭は打ちませんでしたが、男優さんは天井で頭を打ってイタッーと叫んでいました。
農業も「栽培から収穫、さらには貯蔵にまで」あまりにも電気に頼りすぎている現実えの「反省のきっかけ」になればと思いました。
関東を中心に放映されるそうですので四万十で生産されている生姜を利用してくださっている消費者に見ていただければ幸いです
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地下貯蔵庫前での撮影風景です。 |
息子たちと我が家を出てゆく女優さんたち。 |
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7月10日
梅雨の合間を利用して北海道に行ってきました。
北海道に行く方のヘルパーも兼ねての旅でした。
畜産農家では牛肉をご馳走になりました。
遠慮していたら「竜巻で畜舎が被害を受けた時お世話になった方に贈るために牛を3頭処分した時の肉ですから遠慮はしないで」
とのこと。
「いったい何頭飼っていますか」とお聞きしたら「正確には把握していないが400頭ぐらいだと思う」とのこと。
規模の大きさに感心すると共に、小さい畑で,しかも炎天下での作業の続く生姜つくりが惨めになってきました。
斜里町を訪ねました。
斜里町の彫刻家siyou takumi先生の工房を訪ねました。 |
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6月15日
さつきの花が咲くようになり生姜の芽が出てきました。
除草~中耕~敷草いれ と忙しくなりました。
雨がふる度に放射能汚染にビクビクしながら農作業に明け暮れています
奥四万十が汚染されるようなら日本には安全な農産物はなくなると思い恐ろしくなりました。
エコファーマーの認定を知事より頂きました。
放射能汚染を前に「エコだ有機だ」と言ってみてもナンセンスな話かもしれませんが、消費者の(^0_0^)を思うとき、「一農民として何ができるかを考える原点に立つ」ことが大切だと僕は思います。
5月30日には「生姜による持続性の高い農業生産方式の導入計画認定」を 尾崎正直高知県知事より頂きました。 |
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5月10日
生姜作業畑の昼休みにラジオ放送で福島原発の事故について繰り返し放送されていました。
消えることのない放射能汚染 一度事故が起きたら汚染は地球規模で広がってゆくのです。
「最も安い電力は原発だ」.と公約して推進してきた自民党は菅総理の対応に責任があると言いますが 自民党ならどんな解決策があるのか示してほしいと思います。
僕にはに日本沈没を告げる神々の叫びが聞こえるような気がしてなりません。
生姜作りの百姓で何の知識もありませんが、私は原発の事故について昭和60年代に警告していました。
しかしその時は圧倒的な世論にかき消されてしまいました。
そこで僕は「必ず事故は起きる」ことを予言して「四万十源流の村からの報告」と言う
本にまとめて昭和62年と平成7年に出版しました。
いま改めてこの本が読まれるようになりました。
そこでご希望の方にお分けしたいと思います. ご希望の方はFAX 0889ー57-2457 西村までご連絡下さいませ。
4月29日
3月から原爆避難のために我が家に滞在していた一家が、解決のあてもないままに村をさることとなり、村の子供たちや先生に見送られて次の避難先を求めて流浪の旅にでました。
「子供を放射能から守りたい」その一心で避難区域圏外でありながら福島を後に四万十まで逃れてきたのです。
生姜の植え付けを手伝ってくれていましたがやはり「福島の近くでもとの生活の出来る日を待ちたい」気持ちをどうすることもできなかったようです
福島では無農薬野菜を消費者に届けていたが、今は野菜も作れず消費者は離散してもとの生活を取り戻すあてもない現実
失望の影を残したまま村を去ってゆきました。
ぼくには家と仕事を提供することは出来ても、希望を与える知恵も能力もありませんでした。
村の学校で芽生えた友人との別れは辛いものでした。 |
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植え付けのおわった生姜畑の今の姿です。 |
3月16日
原発事故に世界中が震え上がっています。
日本が歩んできた工業化社会政策が音をたてて崩れ、再建の道は閉ざされ 出口なき暗黒のトンエルを進む時代に入ろうとしています。
一枚の手紙が伝える真実
昨日東京の方から一枚のハガキが届きました。
東京のスパーやコンビニから食料品が消えた。
「米と野菜の救援をたのむ」と書かれていました。
「そんなバカな」と思っていたら、ニュースで真実だとわかりました。
宅配 ドライバーに聞いたところ一週間以上かかるとのことでした。
近代都市のもろさを知りました.。それでも物資は発送しました。
3月10日
生姜畑の整地作業から帰ってみると、居間のテーブルの上に一冊の本が置かれていました。
[岩波新書から本を出版したので読んで欲しい]と書かれていました。
「生活環境主義でいこう」と言う, 嘉田由紀子 語り/古谷桂信構成による新書には琵琶湖に恋した知事の思いが書かれていました。
少女時代の感動が人生を決めた。
1960年代半ばのある日琵琶湖南部を女子高校の一団が歩いていました。
関東からの修学旅行の団体です。
石山寺を見学しての帰り、バスに向かう道の途中で一人の女の子が立ち止まりました。
彼女の視線の先には、田んぼの間の小川で野菜を洗っている高齢の女性がみえました。
石垣の流れに囲まれた水の流れで、野菜を洗う、何の変哲も無い光景が彼女の心を動かしたのです。
「水がいっぱいある、なんて自然に溶け込んだ光景だろう。水路が暮らしに生きている」。
「こんなところに住んでみたいなあ」 (序文より抜粋)
そんな感動を受けた少女が後に知事として琵琶湖と関わることになったのです。
人生って筋書きのないドラマなんでしょうか。
2月28日
明日から早くも3月 ウグイスの鳴き声が生姜畑にコダマするようになりました。
生姜畑の整地も急がなくてはなりません。
猫の手も借りたいところですが、最近はネコも少なくなりました。
ネコも自由にネズミをとることができなくなり、部屋に閉じ込められるようになりました。
人間の場合はよほどのことがない限り 閉じ込められることはありませんが、猫は罪もないのに人間のエゴで自由が奪われています。
心が痛むニュージーランド地震
70時間が経過し限りなく希望が絶望に変わり心が痛みます。
ニュウージーランドで日本の登校拒否に悩む子供たちを引き受けて教育 日本の大学に送り出している宮下先生 生徒たちは大丈夫でしょうか。 通信が混乱していますので連絡はできませんが心配しています。
神戸では生協に出荷している生産物を被災地に直送、生協はその組織をあげて救援にたちあがりました。
「元気出せ神戸」 を合言葉に復興にたちあがりました。
日頃は隣りにどんな人は住んでいるかもしらない都市の住民を心の過疎地帯だと思っていましたが、人間はみんなどっかで心は結ばれていることを知りました。
だって みんな一丸となって被災者の救援に立ち上がったですもの。
人生は筋書きのない ドラマでしょうか
今回の地震では前途有望な子供たちが犠牲になりました。
人生って一寸先も読めないドラマなのだと思いました。
2月に僕はベトナムのハロン 湾で一泊しました。
それから帰国した直後ハロン湾に浮かぶ船が沈没しました。、
「明日も生きている」そう信じて今日も生きているに過ぎないのが人生でしょうか
2月10日
寒い冬でしたが、ようやく春の足音が聞こえるようになりました。
二月はにげると言いますが、あっという間に3月になりますので、大急ぎでしょうが畑の整地に取り組んでいます。
同時に県農業改良普及所の指導を受け特別栽培生姜の管理計画と施肥設計に取り組んでいます。
ベトナムの旧正月と農業
日本ではお正月の 伝統行事はすたれ門松も見かけなくなりました |
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1月20日
奥四万十の里にも雪がつもり、天狗高原ではスキー教室も開かれ賑わっています。
一方スキーの季節は乾燥期で生姜畑の整地に忙しくなります。
3月になりますと雨が多くなり整地が大変になりますのでスキーどころではありません
農地集約と新規参入促進の恐怖
貿易自由化に備え「食と農林漁業の再生実現会議」が首相を議長にして開かれています。
表面的にみれば時期を得た取り組みのように見えます。
しかし日本の山間農家は消え去り、都市近郊農家は資本の手に渡ってしまう危機にさらされているように思えてなりません。
政府は農家を守ってきた農業委員会を改革して企業が参入しやすい組織に改革しようとしています。
その狙いは企業が農業生産法人に50%以上出資して農家の経営権をにぎれるようにする。
農家は単なる労働者として「企業の戦士として働く、」そんな青写真をえがこうとしています。
そのためには農家を守ることを使命としている農業委員会の解体、改革が必要になってきたのです。
県の有機農業認定の準備に入りました。
どんな方向に農政が改革されてゆこうとも支持してくれる消費者がいる限り農地を資本に渡して農業労働者になる気はさらさらありません。 |
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生姜の収穫で猫のても借りたい時なのにオーストラリアから有機栽培生姜の視察があり、先日は四万十マラソン選手が帰ったばかりでいそがしいことになりました。 |
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オーストラリアの生姜農家の訪問
TPPの本格協議に入ろうとする時期に農業大国オーストラリアからの訪問、その経営の巨大さに圧倒されました。
我が日本では1ヘクタール(1町)の平均面積にすぎません。
一方アメリカは200ヘクタール(200町)と200倍、 オーストラリアは3000ヘクタールで3000倍の規模だそうです。、
もしTPPにより関税が撤廃されたら食糧は輸入が主力になり、日本の農業は壊滅的な打撃を受けることになります。
農家所得に 腰を抜かしました
オーストラリアではオーガニック栽培生姜は通常価格の数倍以上で取引されているそうです。
ちなみに昨年の年収をお聞きしたら日本円で8千万円程度の収入とのこと。
関税が撤廃されたら日本農業は壊滅的打撃を受けることは間違いない事実です。
政府内に異論があるのはそのためなのです。国際競争の中でどんな運命が待っているのかは答えを待つまでもないことだと思います。
工業立国の道を選択して国民の胃袋を海外に求めた結果として食料難民になる日はそこまで近づいているように感じました。 「 じゃ どうすればよいか」.選択の道は限られていると思います。
残された道は、農家と消費者が手を結び、育て育てられる関係を築いてゆくことではないかと思いました。
日本の若者を使う
訪問を受けたオーストラリアの農家では日本の若者を雇用しているようです。
現地の人より勤勉なようで全員日本人(20人程度)に切り替えているとのこと。
日給は1万円で勉強しながら働いているようです。
日本では農業を嫌って出て行き、外国では勤勉な農民として働きを評価されている。
やがて日本人が海外で働いて収穫した農産物が日本の農業に壊滅的な打撃を与える。
そんな時代が迫ってきているのでしょうか。
10月17日
早いもので生姜の収穫時を迎えました。
計画としては26日ごろから収穫に入りたいと思っています。
初期消毒のみで後は運にまかせていましたが、平年作は期待できそうです。
収穫を体験したい方はいつでもご連絡下さいませ。
賑やかに収穫作業をすすめたいと思っています。
100キロマラソンが始まりました
四万十川100キロマラソンが今朝スタートしました。
我が家には大阪から参加する2人の選手が「宿泊して2~3日奥四万十でトレーニングしたい」と訪れました。
100キロに挑戦する気力に圧倒されました。
「記録よりも完走しないと残念が残る」と言い残して午前3時に出かけて行きました。
「自動車が発達した時代になんで100キロも走るのか」とお聞きしたら「走りたい血が騒ぐので止められない」とのこと
交通量の少ない山道を選び中流から下流まで四万十川総延長の半分を走り抜けることにないます。
走ることしか手段のなかった先祖の遺伝子が車社会の今も受け継がれているのでしょうか。
2010年
9月24日
生姜は朝夕の温度差が進むにつれて秋を感じて地下根が |
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少子高齢化と地方の衰退
「高知には大丸がある。田舎じゃない」. 大丸は高知の顔として発展してきました。
屋上には「遊園地」があって子供たちに人気がありました。
ところが最近はこの遊園地で子供たちの声が聞こえなくなりました。
子供の姿が消えたのです。
とうとう大丸はこの遊園地を閉鎖することになったようです。
大丸だけではなく農村では学校にも子供の姿が消えようとしています。
消毒しないなら学校の近くでも生姜は作れると植え付けましたが学校からはピアノの音だけで子供の声は聞こえてきません。
やがて村から小学校も中学校も消え 合併した旧中土佐町の学校に合併される日が近づいています。
少ない子供たちは学校を卒業したら都会に出てゆきます。
定期バスは空気を積んで走っています。行政の補助金で走るバスは「バスも走っている。田舎じゃない」と思う心理的効果があるそうです。
やがて農地はイノシシなど野生動物の天下となり日本人は輸入農産物を頼りに生きてゆくことになります。
地球規模で食料危機が拡大している現実, 日本はやがて飢餓民族となる時代に入ろうとしている警告を大丸の「遊園地閉鎖」は告げようとしていますが心の豊かさより物の豊かさを求める日本人には聞こえないようで残念だと思います。
9月10日
エコカ-補助金と農業
エコカ--補助金が打ち切られ、やいやい騒いでいます。
今度は法人税を減税するそうです。
一般的な農家にはいずれもなんの恩典もありません。
エコの原点として早くから有機農業を支援し消費者と生産者を結ぶ役目を果たしてきた自然食品流通の役割に対してはエコの補助もありません。
国民の命の源泉である食より自動車を中心とした企業を大切にする政治がホンマのエコなのか?小さなテレビを大型に変えてもエコの補助金がもらえます
。でも僕は税金の無駄遣いだと思いまして補助の申請書は出していません。
何がエコなのかぼくには解りませんから。( ^)o(^ )
8月28日
生姜と雨
奥四万十の里は農業に向いた気候条件だと思います。
高知県地方の気象台が晴れと予報しても夕立があったり、適当に雨が降り生姜の為の自然の配慮があります。
高知県地方は晴天なのに奥四万十では例外的に雨が降っています。
さて今日は何をしようか?一層のこと雨に感謝していっぱい飲んで過ごすか?迷っています。
岩波ブックレットNo、786
岩波から「地域の力で自然エネルギー」と言う ブックを出版した著者のお父さんから「息子の書いた本です」と贈られてきました。
我々は貴重な地球の資源を喰いつぶして繁栄してきました。
農業も一部の有機農業は別として、畜産中心の循環型農業から機械化され科学肥料万能の経営となり、農業までが地球の資源を消費して経営されていまあす。
「エレルギ‐問題」は地球と言う星が人類に投げかけている大きな宿題だと思います。
8月 10日
早くも8月も中旬に入りました。
生姜は雨を好むと言ってもこのところの雨は半端じゃありません。
奥四万十は(ところにより雨)と予報されればまず雨が降ります。
高知市が晴天でもお構いなく雨が降ります。
奥四万十を散策される方は弁当忘れても雨具を忘れてはいけません。
生姜は雨を好みますが、晴天になれば病気が心配になります。
どっちにしても気の休まることはありません。
よさこい鳴子踊りと現代人気質
雨で仕事もできず、さりとて雨読とも無縁な吾輩は時間を持て余していましたら,よさこい祭りに出てくるようにとの誘いがあり出かけてきました。
早稲田の学生中心の踊り子や 80ばあさんも参加している三重県の老人チ-ム 高校生の元気なチ-ムが(僕たち高校生の未来は永遠で-す)と叫んで元気に踊っていました。
モハヤよさこいは高知の祭りではなく全国区に発展したようです。
形や伝統に拘束されず、今言いたいことを歌や踊りにぶっつけて表現出来る(よさこい祭り)に老いも若きも燃えるのだと思いました。
政党も一枚岩で党員を結束出来ない時代になりました。党員と言えども個々に言いたいことを主張し、党の方針に反論する時代となりました。
踊りも歌も型にはめることなく自由な表現が許され、言いたいことを歌にして踊れるよさこいは時代の流れリ受け入れられるのかもしれません。
伝統や歴史の文化はどうなってゆくのか、不安がよぎる(よさ恋祭り)でした
2010年
7月1日
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四万十川とトンボ公園
四万十川赤鉄橋(四万十市具同)の近くに「トンボ自然公園」があります。
全国のトンボ愛好家が「トンボと自然を考える会」を設立管理しています。
またこのほど同会により「四万十川魚図鑑」を(いかだ社)を出版されました。
トンボの観察とともに、この図鑑を参考に四万十川の魚を探索されることをお勧めします。
遺伝子組み換え農産物の恐怖
パラグアイの友人が日本で長期l休暇を過ごしていました。
どうしてノンビリ出来るようになったのか尋ねたら大豆を遺伝子組み換え品種に切り替えたところ除草剤をかけてもすくすく育つようになった(おかげ)だとのこと。
ところが三重県では遺伝子組み換え農産物との交雑が疑われる雑草が検出され生態系に拡散する恐れが心配されています。(市民団体調査による)
輸入された遺伝子組み換え食品は知らず知らずのうちに国内農産物と交雑して拡散する危機を雑草は警告しているように思えてきました。
種子として輸入しなくとも加工用として輸入した種子が国内で発芽、国内の農産物と交雑して遺伝子組み換え農産物が蔓延する恐れなしとはいえなくなりました。
「さて、どうする」 対策の難しい問題が忍び寄ってきているように感じます。
食料の自給率を高めないと輸入食料には取り返しのつかない代償を払う運命が待っているように思えてきました。
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左の写真は土づくりのために鶏糞や堆肥等を投入している1~2月の作業です。 |
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植え付け後の現在の姿です。 |
口蹄疫問題の恐怖
今西日本では口蹄疫の恐怖におののいています。
いや全国の問題でもあり世界の問題でもありましょう。
やがてウイルスは動物から人間にも襲いかかる姿に進化してゆくかも知れません。
ウイルスによって人類が滅びる危機が迫っているように思えてきました。
エイズは早くも人類に挑戦してきだしました。
ウイルスに国境はない
エジブトのレストランではテ-ブルからちょっと離れるとスズメが飛んできて料理を平気で食べ始めます。
その光景をみて人間はウイルスに対してあまりにも無防備だと感じたことでした
また日本は食料を世界中からかき集め平気で残飯として捨てています。
その陰で子供たちが飢餓で今日も死んでいるのです。
ウイルスはこうした人間のエゴに対する挑戦なのかも知れません。
生姜まで国産より外国産が多く消費されるようになりました。
加工品ならまだしも生のまま店頭に並べられています。
生のままと言うことはいろいろな病原菌や疫病がそのまま持ち込まれていることになりましょう。
もし心配ないとするなら殺菌剤や殺虫剤が使われている裏付けとなりましょう。
ウイルスが猛威をふるいだしたらすぐに、政府が悪いとか、政争の具に使いたがりますが、ほんまに悪いのは外国から食料を買いあさる政策に結果として協力している私たち消費者かもしれません。
2010年
4月10日
女性飛行士と天気
晴天を期待して空を見上げていましたら、宇宙を女性飛行士が飛んでいることにきがつきました。
地上では下から女性を見上げたり、写したりしたら処罰の対象になります。
うっかり空を見上げるにも気を使う世の中となりました。
雨雲の上を人工衛星が飛ぶことにご機嫌を悪くして雨を降らせているのかもしれません。
地球と言う星で平和に生きてゆけない人類が宇宙人に「地球がどんな星か」と説明するのか聞きたくなりました。
【しょうがの植え付け準備をせんかね】 我が家の飛行士から甲高い声が聞こえてきました。
4月7日
今年は桜がさいても急に寒い日が繰り返されていますので生姜の植え付けに入れないままにいたずらに日日は過ぎてゆきます。
天気を気にして空を見上げました。
空には女性の飛行士が飛んでいるようですね。
地上では女性を下からのぞいたら違反になるそうですので恐る恐る見上げました。
ズボンならいいですが、スカ-トなら問題になりそうに思い、こっそり見上げました。
同居人の女性から「、何で空ばかり見上げるているがーー」と聞かれ「天気が気になるが」と答えrました。
今日から四万十町で町長選挙が始まりました。
「過疎だ 限界集落だ」と騒がれていますが、過疎の町に町長候補が6人もいることはそれ自体が活気のあることでうれしくなりました。
優秀な人材が都市に集中する傾向にある中で優秀な人材が四万十には残ってそれぞれ町づくりに意欲を燃やしています。
産直で都市と交流を深めている候補もいます。
皆さん選択に迷うことになりそうですが、過疎の町や村に元気な人材が躍動している姿に「バンザイ」したいと思います
4月1日
アッという間に4月に入りました。
生姜の植え付け時期になりましたがまだ霜が降る日がありヤバイので植え付け作業はできません。
桜も例年より一週間早く咲きましたが遅霜にびっくりして:残っていたツボミは開花を中止、パッと咲く桜のイメ-ジはありません。
咲く決断はそれぞれのツボミの判断に任しているようです。
どっかの国の政策に似ているようです。
有機認定について
荒地を耕して生姜を栽培しても「有機」の認定をとらなければもったいないとの指摘を受けました。
僕の場合は認定を受けても栽培にはあまり変わりはありません。
また有機の認定を受けても流通には変化はないと思います。
でも消費者から「もったいない」と言われればそれもそうかとも思います。
以前は愛媛で認定を受けましたが高知県に認定機関があるのかそこから調べてみたいと思っています 。
3月20日
生姜の植え付けの準備として畑の整地をしていますがこのところ雨が多くて苦戦しています。
桜にうかれて花見をしたり、連休を楽しむことも許されずひたすら畑で働いています。
人工栽培制御の野菜工場
今電気で制御されて栽培された植物工場生産野菜が無農薬野菜として本格的に流通されようとしています。
原発は一度稼働し始めたら必要であろうとなかろうと関係なく途中で停止できません。
「あまった電気をどうするか」そこで植物工場による野菜の生産が本格化しようとしています。
農家は石を拾い大地を耕し生産しています。
「土のつかない植物工場で生産された農産物は清潔だ」と宣伝し
国も2011年度末には植物工場の施設を08年度の3倍の150カ所に増やす計画を立てているようです。
エコとは・?僕にはわからなくなりました。
太陽の下で汗にまみれて作るのが農産物であり、健康食品供給産業が農業だと思って取り組んできましたが、消費者は原発の電力でつくった植物工場の野菜を健康食品と認識しエコ産業と認める時代に入ってゆくのでしょうか。
僕はあなただけは僕たち農民の汗を理解してくれると信じて今日も大地を耕します。
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2月20日
ウグイスが鳴き始めました。
奥四万十の里にも春が訪れ川辺にウグイスのきれいな声がこだましています。
国会の鳩はウグイスのようにたのしく鳴くことはできず泣かされているように思います。
ウグイスは親からお金をもらっていないのでイジメに遭うこともなくたのしく鳴けるのでしょうか。
1月20日
生姜畑の整地が始まりました。
寒さが今年は厳しく久しぶりに氷柱を見ることができました。
でも寒い冬にも確実に春の足音を感じています。
梅のつぼみも日に日に開花の準備をしています。
畑には有機肥料として鶏糞 魚粉 豆かす 米ぬか 等を鍬きこんでいます。
雨の少ない2月一杯に整地を終わりたいと思っています。
2月は逃げると云はれますが、2月は忙しくなります。
有機農業のこれから
2月7日 高知カルポ-トを会場として「農水省地域有機農業推進事業」講演会が開かれます。
講師は参議院議員ツルネン マルチイ氏 13時開演となっています。
昨年10月には高知市に市民農園ができ、四万十町にも有機市民農園ができることになっています。
有機農業政策についての今後の課題や消費者と一体となった有機農業の支援について話合われることになっています。
2010年
1月1日
雪 化粧の新年を迎えました。
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今朝 我が家の玄関前には「帯広」ナンバ-のワゴン車が止まっていました。
我が家の後継者と高知農業大学で学んだ青年の車でした。
帯広で新規就農者として取り組んでいるようです。小面積の我が家の農業と大規模な帯広の農業とは対照になりませんが、経営を客観的に見つめるためには何かがありそうです。
これからは生姜畑の準備で忙しくなります。
しばらく帯広の青年に手伝ってもらえるといいけど~~~
2009年
12月25日
奥四万十に雪が降りました。
県立帰全農場で賀川豊彦について学び、有機農業の大切さを少年時代に叩き込まれた先輩が我が家を訪問されました。
朝起きてみると雪が降り自然が粋な歓迎をしてくれました。
写真は雪をバックに写した写真です。 |
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11月25日
四万十川にダムが必要か
四万十川をせき止めている唯一のダムの水利権更新が迫ってきました。
このダムにより発電用としてタ-ビンを回した水は二度と四万十川に戻ることはなく太平洋側に放流されています。
したがってダム下流では水流が少なくなり、上流では放流あゆしか見られなくなりました。
-01年の更新時には関係町村の首長、議会を中心に住民がムシロ旗を担いでダム下流の河原に集まり、ダム撤去運動が起きました。
-11年には更新期を迎えますが、10年を経過して撤去運動は盛り上がっていません。
一様自冶体首長などで組織する「検討協議会」は組織されていますが「ダム更新ありき」を前提とした学習会にしか過ぎず、撤去運動の火は消されることはあっても燃えあがることは期待できそうにありません。
かくなる上は鳩山さんにすがるしか道はありませんが、忙しくて手が回らないようです。
四万十川を世界遺産に登録するために
だだ今、四国では「四国遍路道」と「四万十川」を世界遺産に登録しようという考えの人たちが運動しています。
そのためには11年の更新期にはダム撤去を議決して,稼働しているダムを住民運動で撤去させる必要があると思います。更新にNOの答えを出し四万十川を世界遺産に登録される可能性に望みを託したいところですが、
お偉い先生方は「更新ありき」で進んでいますし、住民も01年のような撤去運動に立ち上がる気力を失っています。
進みゆく高齢化は「なるようになれ」と気力を失ってしまいました。
「どうしてダムなんですか」 岩波書店
「息子が本を出したので読んでくれ」と著者のご両親が我が家を訪問、差し出された本は淀川流域委員会奮闘記を記した古谷桂信氏の「どうしてダムなんですか」という本でした。
多くの方に読んでいただければと思い紹介させていただきます・。
10月1日
第6回有機農業公開セミナ-in高知の開催について
国の有機農法推進法、有機農業推進基本方針を受けて各自冶体ごとに有機農業推進計画が進められていますが、高知でも有機農業技術公開セミナ-が2009面11月18日~19日のの2日間ウエルサンピア高知で開かれることになりました。
行政が大きく旗を振ってもなかなか進まないのが有機農業の認定です。
僕もかつて有機の認定を受けて生姜を栽培しましたが、形式に縛られ肝心の農作業に支障をきたすようになりました。
永年作物もしくは連作可能な作物の場合は問題は少ないですが、連作ができないため毎年度次々と新しい、畑に作付しなければならない生姜などの場合書類の作成が大変になってきます。
またヨ-ロッパやアメリカのように一枚の畑が広い所と違って小さな畑が散在する日本のような山間農業の場合一筆ごとに書類を整理しなければならず記録が膨大になってきます。
せめて一筆ごとの記録ではなく同じ条件の畑が集団して認定を受ける場合はまとめて一筆として記録できるようにしないと、形式にとらわれる行政の事務感覚では農民はなかなかついてゆけないのが現実のように思います。
ドイツの農村に行った時、「こんな田舎に日本から訪問してくれるとはー」と感激したのか、不審に思ったのか夜村長さんや組合長さんがたずねてこられました。
説明によると、(記憶は定かではありませんが)、たしか村の耕作面積は1戸当たり200ヘクタ-ルぐらいだとの話でした。
「あなたたちの村の耕作面積は」と問われ70ア-ルと答えたら不審な顔をしていました。
耕作規模のこれが現実なんです。
小さな面積でしかも小さく地籍が分割されている日本で今のような有機の栽培記録の分類方式では農家はついてゆけないように思いました。
有機農業は形式ではなく個々の農家の取り組む姿勢が基本になるように思います。
生産する農家と消費者の信頼のきずなで結ばれてゆくことが基本だと思います、記録の必要なことはもちろんですがあまりにも複雑な事務
書類に縛られる有機認定制度には問題があるように思います。
現場の意見の交換の場としてこのセミナ-に参加されますことを期待したいと思います。
9月22日
四万十川支流島の川ダムと八ツ場ダム問題
民主は公約にしたがい八ツ場ダムの中止を前提に動きだしました。
「数千億の予算を投入し計画から数十年を経過した今なぜ中止をするのか」、「必要なダムならなぜ国民は中止に反旗を掲げないのか」
わからないことばかりです。
下流住民の生活を水害から守り、都心の生活用水を確保するために必要なら都民がなぜ中止反対に立ち上がらないのか。
都市は山を削り谷を埋めどんどん遊水地帯まで宅地化した。その次には地表をセメントで固め 水は地下に浸水できなくなった。
そのため水害が発生するようになった。ダムでは解決できない問題を子孫に残す結果となった。
奥四万十川にもかつてダムが計画された。
「清流四万十川になぜダムが必要か」、国は具体的な説明もできないままに地質調査のボーリングを始めました。
立ち上がった住民の反対運動に対して何一つダムの必要性について説明することもなく中止になりましたが誰も困ることもなく今日に至っています。
「一部の利権のために自然が失われてゆく」、それがすべてではないにしてもダムの実態なのかもしれません。
多田実氏に助けられる
「四万十川にダムを造るな」 と反対運動のさなか多田実氏が来村されこのダム問題を「四万十川歩いて下る」築地書館にまとめられ、大きな反響を得ることとなり、ついにダム計画は中止されました。
また僕も「四万十源流の村からの報告」にまとめ出版しました。
国は何でダムにコダワルのか。
過去においては一度計画したダムは(一部の例外を省いて)何十年かかろうと中止することはありませんでした。
また絶対必要と認められるダムなら何十年も反対運動を続ける必要は無いと思います。
膨大な利益がありその一部が政治献金に還元される甘い蜜に群がる蜂は住民運動ではなかなか払い去ることが難しいと思います。
僕たちは四万十川のダム問題に対して知識を深めるべく公費負担で各地の問題のダムを調査してまいりました。ウー 十年前のこととは言え調査に対する責任は重く、自分の考えを述べる義務を感じてここに書きつづりました、。
この際「四万十川歩いて下る」と「四万十源流の村からの報告」をぜひ読んでいただきたいと思います。
9月18日
2009年
9月1日
農家オヤジと自民党
農家の親父と言えば頑固で星一徹の見本のようなイメージが強く嫁に敬遠される一因となっています。
今の親父は戦前は国家のために「一俵増産」に立ち上がり、作った米は統制にしばられ,町から結婚衣裳の着物を片手に米と交換にきた若嫁に同情して米と交換したら、「闇取引」と引っ張られ、食料が豊かになると「米は作るな減反しろ」と押し付けられる。
その上子供には経営権を譲れと迫がまれ立つ瀬の亡くなった親父は 「理想ばかりで、財源の裏付けのない計画ばかりを追い求める」と若者になかなか経営を任そうとしない。
これでは農村は改革できないし、発展は望むべくもない。
ところが若者がのびのびと農業に取り組み、意欲のある経営を行っている農家もある。
尋ねてみると「不幸にも親父を早く失った農家」や、「つぶれてもいいお前にバトンを渡す」と経営委譲した太っ腹オヤジの息子の経営する農家でした。
民主の時代を保守王国の農村までが選択
今回の衆議院選挙における自民の発言をみていると農村の「頑固オヤジ」そっくりの思えてきました。
意欲を見せる民主という息子の欠点を、「これでもか これでもか」と国民に呼びかける姿は、頑固オヤジの酔狂のように聞こえました。
農村も政治も好むと好まざるとにかかわらず新しい時代の幕開けを待っていることを忘れているように思いました。
どうか農村の親父たちが「過去の栄光」をかなぐり捨てて「若い経営者をそだててほしい」 そのための「冒険にかける勇気」をもってほしい
その道を開いたのが、頼りないと言はれつつも今回の衆議院選挙で民主に賭けた国民の答えだという事を、他人事とせず農村のオヤジにかみしめてほしいと思います。
8月26日
8月26日現在の写真で~~す。7月の写真と比較してみてください。 |
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右の写真は稲の8月26日現在の姿です。 |
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8月10日
四万十川ではキャンプができなくなりました
大雨、洪水警報の通りとなり、「よさこい祭り」も前夜祭が中止となりました。
奥四万十でも大雨となり、沈下橋はその名の通り沈下寸前となり通行止となりました。
四万十川でのキャンプを計画していた方も中止となりました。
たとえ今後晴天となっても水温もひくく、水泳は当分できなくなりました。
遊泳禁止が続くと考えられます。川辺でのキャンプは無理だと思います。
7月26日 |
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衆議院選挙で過疎の村はどうなる?
「米は作るな」と言はれ生姜を作ったら今度は中国の生姜がどんどん輸入されるようになりました。国内で外国ショウガがどのようなルートで消費者に届いているのか農水省に聞かなければ僕にはわかりませんが、国民の経済を考えたら輸入に頼らざるを得ないそうです。
おかげで国内産生姜の販売が、伸び悩んでいます。不況になれば安全を求めるより安価を求めるのが自然の流れだそうです。 イヤになッチャイますね。
ところがありがたいことに新聞報道によると麻生首相は、「高齢者は、働くことにしか才能がない,80をすぎて遊びを覚えても仕方ない」と忠告してくださいました。 早速ご忠告に従って生姜代を懐に遊びに出かけようと思いましたが、80にならずとも遊びを覚えることはできませんでした。
小泉さんは「自民党をぶっ壊す」と、たんかを切ったのに、今度は息子を、自民党から立候補さすそうですが、何がなにやら わからなくなりました。小泉のゲリラを何で自民は推薦するのか・?僕にはサッパリわかりません。
1つだけわかったのは麻生さんのご指摘のとうり、高齢者?は肉体的にも遊びを知っていても遊べない現実だと言うことです、。
2009年
6月29日
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北海道農業の規模に度肝を抜かれました
高知の山間農業はちっちゃな畑にゴジャゴジャいろんな作物を植ている家庭菜園に毛の生えたような小規模経営です。
そこに行くと北海道は大規模化が進んでいました。
特に温暖化の影響でしようか水田の開発が進み、やがて四国九州に変わって米の大規模生産基地になるように思いました。
酪農にしてもどんどん集約化されていて、規模拡大が進んでいるように思いました。
規模拡大にはメリットもありますがリスクも大きいと思います。
どこにどんなリスクが待ち受けているのか自動車産業から学ぶ必要を感じましたが、無用な干渉でしょうか。
高速道路にびっくりしました
北海道は内地に比べれば農道も高速道路のようなものだと思いました。
一般道を走ると地域の文化にも触れることができますし、道路の下には強制労働に命をささげた貴重な魂が眠っています。
今この道を見捨てて「高速道路が何で必要なのか」、緊急を要するときはヘリを使えば事足りるように思います。
高速道路は地域の文化に触れる旅を奪い去りました。点から点にいかに早く移動させるかに重点を置いた観光開発がホンマの北海道のためになるとは僕には考えられませんでした。
6月22日 |
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アツ~~ポストが消えた?(^_-)-☆
生姜畑に行く途中ポストを探しましたがいつものところから消えていました。
キツネに化かされたのか、さもなくば、痴呆症 いいえ間違いました認知症の始まりなのか。
田舎の議会まで郵政の民営化に賛成したのでポストが撤去されても文句は言えないそうです。
麻生首相は郵政の民営化に反対だったそうですが、「何で田舎の議会が賛成したのか」撤去されたポスト後に座り込んで考え込んでしまいました。
1千円で売却された土地が4800万円で転売された事実は企業にとっては利益があり過疎の村は切り捨てられて行く民営化でしかなかったのでしょうか
小泉さんは「自民党をぶっ潰す」と言いましたが本心は労働組合の解体をもくろんだ民営化政策だったのか?。
国鉄も 林野も 郵政も こんな狙いで標的にされたのでしょうか。
過疎の村も切捨ての標的にされたのでしょうか、
6月10日
ようやく梅雨も本格的になりました。
例年ならとっくに雨の季節に入っていますのに今年は雨が少なく、田植えができない地区もありました。
これで一気に田植えも進みそうです。
生姜畑には早くも草が生え始めました。
草は早めに引くことが大切ですので雨の晴れ間には草引きをしています
エコ産業とは?
農業はエコ産業の原点だと思ってきました。
必要な収穫物以外は土に返しまた次の生産に結びつける循環の上に成り立ってきました。
まさにエコ産業の原点だと思います。
しかし最近は、土を離れ、太陽とは無縁な環境で、電気で人工管理した工業生産農産物がハバをきかすようになりました。
土を使わないので安全な農産物と宣伝し政府も農産物の工業生産施設に補助金を出す政策を進めています。
要するに原発であまった電気を農業に利用しようとしているに過ぎないと思うのは貧農の偏見でしょうか。
エコポイントなる名目で工業製品に補助金を出しその上農産物の生産まで工業化しようとしています。
やがて減少する人口問題を解決するために子供を人工生産する工場の建設を考える時代に入るのではないかと心配になってきました。
5月14日
生姜の植え付けも終わり”ホット”一息ついています。
今は畑の周囲の草刈が主な仕事です。
6月に入れば雑草が生えてきますので草引きが待っています。
除草剤を使いたくない代償として炎天下の草引きが始まるのです。
アユ漁が解禁になります。
あす15日より四万十川上流で友釣りと疑似餌つりが四万十町家路川ダムより上流で解禁になります。
アユの習性を利用しての駆け引きの面白さは網漁では味わえない醍醐味だと思いますね。
大野見神母野(イゲノ)地区では大物が期待できそうです。
生姜畑で草引きをしている人を見かけたら声をかけてください。
もしかして僕かもしれませんからーーーーー
5月1日
早くも5月となり新緑が美しくなりました。
バイクの若者が、奥四万十を目指して駆け抜けてゆきます。
北海道からも二組我が家を訪ねてきました。
気候が一ヶ月も違いますのでびっくりしていました。
農村の観光行政の問題点
四万十川沿線は近代化とは無縁で、素朴な生活の歴史が集約されてきました。
ものでは買えない豊かさが住民を支えてきました。
しかし近年行政が観光に力を入れるようになり様相は一変しました。
山に入ると子供のオムツが投げ込まれていたり、水田にはビ-ルの空き缶 などが投げ込まれています。
四万十川で「アユつり」を企画しても終わってみれば、ごみは集っても金は集りません。
皆さん必要なものは町のコンビニで調達し、ごみを残して帰ります。
人を集めるイベントより、自然を守ることを主眼にする行政がホンマの観光行政ではないかと考えながら、今日も耕運機に乗っています。
2009年
4月3日
でも寒い日が続きまして桜も急いで咲いたことを後悔しているようです。
4月中旬ごろから生姜の植え付けを始めたいと思っています。
4月に入り奥四万十の里にも多くの方々が訪れるようになりました。
桜咲く川辺でアメゴを釣る人、側で生姜畑の準備に働く人、人生いろいろだと思いますね。
3月7日
国の重要文化的景観認定の問題点
全長196キロメーターの四万十川には196種類の魚が生息しているそうです。
川の両岸には岩あり竹やぶありで魚の住処がいたるところにありました。。
しかし近年自然工法なる理由をつけて竹やぶがセメントの石積みに変わり魚の住処は失われ魚が減少しました。
その上今回,国の指定を受けたことにより多額の助成が交付されるそうです。
ただでさえ建設事業が減少していますので、この予算で魚の住処を奪う工事が行われる心配が出てきました。
川の中に巨岩を積んで池を作ってコイを飼ったり、一方では老朽化が進み危険だということで 新しく橋を付け替えましたが、古い橋は 撤去を先延ばししてきました。
ところが近自然工法だとか文化的景観の名の下に 古い橋の手すりはセメントを削り、木の手すりに変えられる心配が出てきました。
しかし町長は私たち住民を洪水から守る立場を優先してくださり、一様安心しています
古い橋は過去に洪水をせき止めて集落が水没した経験から新橋に架け替えられたのです。
この古い橋は人命を守るためからも、撤去の時期は時間の問題となってきました。。
川の中に池を作ったり、老朽化した橋の手すりを木に変えたりすることに予算を使うよりも
「四万十を守る」ためには、森を守るべきでそのためにこそ国の予算を投入すべきと思います。
国の重要文化的景観認定により川を人工的に管理する予算は終局において景観を失うことになるような気がします。
2月18日
中川財務相が辞任
今朝の新聞は中川さんの辞任のニュ-スをいっせいに伝えています。
国民は不景気の嵐と必死に戦っていますのに、酒と薬を間違えてのみ、酒気帯び運転よりも罪の深い酒気帯び会見をして世界にその姿をさらけ,挙句には自己弁解に明け暮れた醜態。
四万十流域では森林作業員の募集に失業者が殺到しています。
この現実と重ねるとき国民の痛みにも政府は「アッ--ソウ」というだけなのでしょうか。
大臣が「ごっくん」を飲む時は高知は馬路村の「ごっくん」を飲んでほしいと思いますね。
2月1日
日本農業賞に四万十中流の団体が選ばれました
第38回日本農業賞に四万十町のおかみさん市が選ばれました。
「食のかけ橋賞」 を受賞しました。
家庭菜園でさいばいした安心な農産物を消費者に届ける活動「お出かけ台所」が認められたそうです。
売る人,買う人の垣根を取り外し、消費者と台所を共有して料理の出前まで行い交流を深めていることが認められたものと思います。
ご案内しますので四万十におこしの節はご連絡くださいね。
2009年
1月1日
あけましておめでとうございます。
あったかい年末でしたが自然の粋な計らいで、元旦の朝はま真っ白い雪化粧となりました。
これからの一年間、この真っ白いキャンバスにどんな絵を描くことになるのか胸をわくわくさせながら、
元旦の朝を迎えました。
昨年はエジブトを旅して「平和とは」と言う神々が与えたテーマの深さを知りました。
アメリカが世界のポリスマンであり続けることの難しさを思い知らされるたびとなりました。
緑豊かな自然に囲まれて生姜を作る農業のすばらしさに感謝しながら今年も頑張りたいと決意しました。